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【記念シンポジウム】
【記念シンポジウム】
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住み慣れた街でみんなでいつまでも暮らすための
地域包括ケア病棟の役割
【座長】
高橋 泰(国際医療福祉大学大学院教授)
【シンポジスト】
宇都宮 啓(厚生労働省成田空港検疫所長、元厚生労働省保険局医療課長)
田中 志子(内田病院理事長)
安藤 高朗(第3回地域包括ケア病棟研究大会大会長、永生病院理事長)
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開会式ののち、国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授を座長に地域包括ケア病棟記念シンポジウム「住み慣れた街でみんなでいつまでも暮らすための地域包括ケア病棟の役割」が開催された。シンポジウムに先立ち、高橋教授は2002年に提唱された地域一般病棟の歴史に触れ、「地域包括ケア病棟のような機能は従来から必要だった」と振り返った。
続いて登壇した宇都宮啓元保険局医療課長は、高齢者が地域で暮らしていくために「医療も大きく変わらなければならない」と強調し、地域包括ケア病棟の役割に期待を寄せた。また、医療法人大誠会内田病院の田中志子理事長は、「病院で良くなったBPSDを地域で悪化させない」ことを目的に、認知症の患者が地域で安心して暮らしていくためのまちづくりについて紹介。最後に安藤高朗大会長は、地域包括ケアを実践していくために、「高齢者が地元で医療を受けられる仕組みづくりを病院も含め地域全体で考えていかなければならない」と訴えた。
■地域包括ケア病棟に引き継がれた「地域一般病棟」の精神
〇座長(高橋泰教授):
シンポジウムの座長を仰せつかり、本来なら私は司会をするだけなのだが、乱入という形で少し歴史的なお話しをさせていただく。
2004年改定を控えた2002年に全日病が「病院のあり方に関する報告書」をつくっている。このとき民間病院のあるべき姿として地域一般病棟を提案した。具体的には「地域ケア、在宅ケアを中心とし、利用者の状態を考慮した医療を提供する」「急性期病棟からの受け入れ、地域・在宅医療の後方支援を行う」ということで、病棟の機能として、「リハビリテーション機能、ケアマネジメント機能を必須とし、24時間体制で診療を行う」ということをうたっている。
まさに軽度から中度の脳梗塞、肺炎、骨折などの駆け込み寺的医療、在宅医療への移行、さらに在宅患者の終末期のサポートといった医療は急性期病棟の枠組みで行うというコンセプトを地域一般病棟という形で打ち出したわけである。機能的には、高度急性期と急性期の次に地域一般病棟を位置づけている。
2003年4月30日には、厚労省医政局が「病床区分の機能分化のイメージ」を打ち出したが、これが日本の機能分化の原点になっているのではないかと考えている。ベースに在宅・老健があり、その上に療養病床、一般病床が積み重なるが、このなかに急性期医療として「急性期から長期療養にわたる例」を打ち出した。これを見たときに、地域一般病棟のポジショニングがないからそれを明示しないと駄目なんじゃないかと当時、全日病の副会長だった猪口雄二先生に、地域一般病棟のポジショニングを確保することが大事だという話をした。
われわれの将来予測としては、地域一般病棟や在宅が重要視される。また2006年の医療区分をもとにつくられた医療必要度の高い慢性期病棟など必要なところに予算が配られ、そうでないところは立ち枯れていく。こういう形で将来進んでいくに違いないということを、2004年の改定前に考えた。
それで、亜急性が重要であるということを国に訴えようと、2003年11月に、猪口先生から亜急性病棟の原案づくりの手伝いを頼まれ、乃木坂の韓国料理屋でマッコリを飲みながらいろいろ相談したことを、今でも覚えている。その後、厚労省から調査が必要ということになり、12月から翌2014年1月にかけて会員病院への調査に奔走し、1月20~23日に那須サンバレーにうちの学生を集めて、缶詰め状態で解析作業をさせた。風邪がまん延し、バタバタと学生が倒れていくという悲惨な状況のなか、23日朝に那須を出て、中医協で亜急性病棟が承認された3時間後に厚生労働省にたどり着き、その調査結果を示した。
中医協で亜急性期病棟が承認されたものの、それまでに亜急性に関する調査を実施されたことはなく、現状を把握する必要があった。60病院の協力を得て、3,330人の患者を調査したところ、亜急性該当と思われる患者は1,203人。急性期病棟からの患者が362人、自宅や介護施設からの患者が841人で、今の地域包括ケア病棟は、ポストアキュート的な人が非常に多いのだが、当時の地域一般病棟は、この協会でも力を入れている、高密度の医療は必要ないが地域を支えるために必要な患者を受け入れるという機能も重視してきたわけである。
亜急性該当の患者の入院平均点数は1日2,848点、在宅から来られた方が3,100点、急性期より転院・転棟してきた方が2,450点であるという結果を厚労省の担当官に示したところ、「こんなに高いんですか」と青ざめた顔で言ったことが、今でも印象的である。最終的に、2004年の診療報酬改定で亜急性期入院医療管理料2,050点が新設された。この調査がなかったら、おそらく回復期と同じ1,890点になったのではないかと思うので、それなりに意味があったのではないかと思う。これが亜急性の創成期の話である。
2014年診療報酬改定では、この亜急性が地域包括ケア病棟に名前を変え、そのときの保険局医療課長が本日の演者である宇都宮啓先生だったということもあり、急きょ話をさせていただくことになった。
では、シンポジストの先生方の話に移らせていただきたい。今、お話したとおり、宇都宮先生は、まさに地域包括ケア病棟の生みの親であり、ファーストスピーカーとして非常にふさわしいと思う。
続いて医療法人大誠会内田病院理事長の田中志子先生である。現在、地域包括ケア病棟協会の理事を務められているが、同院の取り組みは地域に根差した医療をされている典型例だと思う。
安藤高朗先生は、実は学生時代からバンドを続けていて、記念シンポジウムのテーマである「君といつまでも」も安藤先生の持ち歌の1つということである。現在は地域包括ケア病棟協会副会長、日慢協の副会長、全日病の副会長、東京医師会理事と、さまざまな役職についておられ、八面六臂のご活躍をしているのは皆さんご存知であろう。それはお三方、よろしくお願いしたい。
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地域活動と地域包括ケアで医療はどうかかわっていくか
宇都宮 啓
(厚生労働省成田空港検疫所長、元厚生労働省保険局医療課長)
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地域包括ケア病棟の創設に深くかかわった宇都宮啓元保険局医療課長は冒頭で、「少子高齢化で医療が大きく変わる。病気を治すことはもちろん大事だが、癒したり生活を支えることも必要になってくる」と指摘。そのためには、「制度に依存し過ぎない自立した社会をつくるために、地域の役割がより重要になる」と強調した。また、「『ときどき入院、ほぼ在宅』といわれるように、どのステージからでも自宅や地域に帰れるようにしていかなければならないということで在宅復帰率を導入した」と2014年改定を振り返り、患者を地域に帰していくうえで急性期病床の多さや専門医の質などが障害になると問題提起。現状のニーズに合わせた医療提供体制を構築していく必要性を訴えた。
■少子高齢化で医療が大きく変わることを現場は認識しているか
私は平成20年は企画官として診療報酬改定、平成24年は老人保健課長として介護報酬改定、平成26年は医療課長として診療報酬改定に携わった。今話があったように地域包括ケア病棟をつくったのだから責任を取れということで今日は引っ張り出されたのかなと、首を洗ってやってきた。
いつも話しているが、少子高齢化が進行していくなかで、私は3つの課題を挙げている。まず医療が変わる。これは30、40年も前から、特に慢性疾患の増加や複数傷病をいくつも抱えるということは言われていることだが、現状の医療提供体制などをみていると本当にわかっているのかと言わざるを得ない。
医師や看護師は学生のときから、とにかく病気を治す、あるいは命を救うことを教わってくる。それは一番大事なことであるのは間違いない。しかしすでに現場で入院されている方のほとんどは高齢者であり、しかも人口構造の変化で慢性疾患が増えてくると、病気を治す、命を救うことが一番大事なのは言うまでもないが、それだけではなく、いくつもの病気を抱えてどうやって生きるのか、そういう方をどのように癒やし支えるのか、あるいは場合によっては看取るのか、そういうところも考えていかなければならない。
少子高齢化の2番目の課題は、地域の重要性が増すということである。年を取るとまず体が動けなくなり、肉体的に移動範囲が狭くなる。精神的にも外出するのが面倒くさくなってくる。それから社会的に、仕事を引退すれば外に出る必要もなくなってくる。また、生まれ育った土地ではないところでの高齢化という問題もある。私の自宅がある千葉の新興住宅地は、住んで23年になる。その前に住んでいた自分が生まれ育った土地では、人の家の屋根から見た風景まで知っているぐらい、地域のことも周りの人のことも良く知っていたが、今住んでいる地域は知らないことばかり。詳しくは後で話すが、そういうところで仕事を引退して行き場がなくなり、地域で暮らし、高齢化するということを考えなければいけない。
さらにライフサイクルが大きく変わっている。大正時代であれば、夫が引退してから死ぬまで平均でわずか1年だった。奥さんはもう少し長生きで5年ぐらいだが、いずれにしてもそんなに大きな問題にはなり得なかった。ところが平成21年になると夫は引退後15~16年、奥さんは23~24年ぐらい生きるということで、むしろ今非常に問題になっているのはこの部分である。
人口構造を見てもわかるとおり、現役の年代よりも老後の人たちがぐっと増えてくる。ところが医療については未だに現役に焦点があてられているのではないか。老後の人々を中心とした体制を取らなければいけないし、状況も考えて医療を提供しなければいけないということである。
3点目は保険制度を若者だけで支えられるかという問題であるが、この話は今日は省かせていただく。
■社会参加や助け合いで医療・介護制度の依存からの脱却必要
平成22年に田中滋座長の下、地域包括ケア研究会の報告書がまとめられた。もともとは、広島の旧御調(みつぎ)町(現・尾道市)のみつぎ総合病院の山口昇先生が地域包括ケアを提唱されていたが、ここで国として求める地域包括ケアシステムの概念が明確にされた。 地域包括ケアは、おおむね中学校区域のなかで、医療・介護・福祉・予防・住まいといったサービスを一体的に提供していくことということだが、それを提供するためには、人材の役割分担として専門職にいきなり頼るのではなく、まず高齢者本人や地域住民・ボランティアをもっと活用すべきじゃないかということである。
コストを抑えていくという視点もないわけではないが、医療や介護の制度が充実してきた今、逆に少し前なら自分たちで何とかやっていたことも頼り過ぎている面がどうしてもある。例えば、小児救急も無料だからと親の都合などで時間外に連れていくという話もよく聞くし、高齢者の場合も夕方電気をつけてもらうために緊急で呼ぶとか、いろいろなケースがある。そうではなく、もう少し原点に返って、できるだけ自分たちの力で、また自分でやれるようになる、つまり自立を支援することがリハビリであり、社会参加につながる。そういうことをもう一回見つめ直そうという話である。
では一体的で包括的なサービスを誰が提供するのかということだが、地域包括ケア研究会の報告書では、自助・互助・共助・公助の四つ概念を示している。多くの場合、互助がなくて自助と共助・公助となっているが、この報告書では共助は社会保険制度という位置づけにして、互助のなかに、一般的には共助に入れられている近隣の人たちなどのボランティアや住民組織の活動を入れ、こういうものをもっと見直そうと提唱している。
さらに、地域包括ケア研究会の平成26年の報告書で示された概念図(植木鉢と植物で構成)では、ベースとなる住まい(植木鉢)は高齢者が自らの意思で選択し、土の部分は生活支援や福祉など自分や地域でできることをやり、葉の部分は医療や介護、リハビリなど専門性のある人たちが提供するように考えたらどうかと提唱している。できるだけ土の部分を自分たちでやることにより、葉のほうがより専門に特化でき、それによって在宅限界点の向上につながると想定しているのである。
これが2年後の平成28年には少し進化し、予防が葉にあり福祉は土にあったのが逆転した。これは特に介護予防がそうなのだが、今は地域支援事業のほうにシフトさせるなどして、いきなり専門職に頼る前に少し周りの住民、あるいは高齢者本人も可能な人は自分も手伝いの提供側に回るとか、そういうことを考えてもっとできることをやっていったらどうかというようなことが入っている。
■介護に導入された「活動と参加」を医療はどう受け止めるか
平成27年の介護報酬改定の目玉の1つだが、リハビリを「活動と参加に焦点を当てたリハビリテーション」という言い方をしている。
平成21年改定までは介護報酬でみるリハビリは維持期リハという言い方をしていた。つまり、医療のほうでは回復期リハとして機能回復を目標とするが、なかなか回復が難しい場合、できるだけ機能を維持しなければならない。その維持の部分は介護でみてくれという意味であるが、非常にネガティブというか、これ以上マイナスにならないようにという消極的な概念であった。
そこで私が老人保健課長のときに行った平成24年の介護報酬改定では、維持期を生活期に改めた。必ずしも機能が回復しなくても、残存機能を活用するなどして少なくとも自分で生活ができるようなリハにしようという意味を込めてのものである。
さらに3年後の平成27年改定ではより積極的に、「活動と参加」に焦点を当てたという経緯がある。つまり家の中で単に生活ができるだけではなく、もっと地域へ出ていくという社会的な概念を入れたリハビリを提案している。介護のほうではまさに地域も意識して改定を行っているが、これを医療側としてどう受け止めるかという話もあると思う。
ここで社会参加に関して、自分の例に触れたい。私は現在住んでるところに移ってから23年になるが、はじめの十数年間は、仕事も多忙のため全く地域に関心がなく、私が知っている人は、2万人以上の新興住宅地の住民のうち両隣のご夫婦だけだった。それであまり不自由も感じていなかったが、例えば祭りの時には誰も知り合いがおらず孤独だった。ところがある日突然、自分の子どものPTA会長にさせられ、そこから私の人生は変わった。4人の子どもらが小学校を卒業すると同時にPTAも辞めたが、いろいろ声がかかり、今は青少年育成地区民会議副会長とかコミュニティセンターの副部長とか社会福祉協議会の理事とかをやっている。このように地域に関わって初めて、いかに以前の自分が地域から孤立した異常な状態だったかということに気がついた。今なら、以前は4人しかいなった地元の知り合いが今は100人ぐらいはおり、いつ厚労省をクビになっても、一緒に飲みに行くおやじ仲間がいるので寂しくはないと思う(笑)。
私がここで言いたいのは、皆さん自身が胸に手を当てて、地域の中でどれくらい知り合いがいるかを考えてほしい。それから皆さんの病院なり施設で、地域の人たちをつなぐ、そういう場を設ける。あるいは入院・入所している患者・入所者と地域とのコミュニケーションが取れる場を設ける、そういうことも含めて今後は展開していただく必要があるのではないかということを、非常に感じている。
■入院や在宅の「しっぱなし」を改めたかった
医療の話に戻るが、1,000人の住民のうち、何らかの体の異常を持っているという人は800人以上いる。そのなかで実際に医師を受診する人は307人、入院は7人ということである。また在宅の推進を唱えているにもかかわらず、在宅ケアや往診は3人だけであり、ここをもっと広げていく必要がある。
もう一つは、大学病院の外来受診が6人いるが、入院になると0.3人である。例えばDPCのⅠ群の一番下のレベルに合わせてⅡ群が設定されているが、どこの病院も自分は急性期だといってⅡ群を目指している。だが、こういうところを皆さんが目指して本当にニーズに合っているのかということである。
最初にご覧いただいた人口構造や疾病構造、患者が大きく変わっているときに、皆さんがどうしてⅡ群を目指すのか。そうではなく、数多くいる方の患者のケアをしてもらわないといけないし、しかも何らかの体調異常を感じても対処行動を起こさない受診予備軍が500人以上もいるのである。こういう人たちが医療にかからないように、あるいはかかってもひどくならないようにということも含め、考えていかなければならないと思う。
また、日本は他の先進国に比べて人口当たりの病床が多過ぎる。そのために、人口当たりの医師数や看護師数で見れば遜色ないものの、病床当たりで見ると少なくなってしまう。病床が多く、しかもその多くが急性期を目指したら、歪な医療提供体制にならざるを得ない。もっと急性期から長期療養へ回っていただく。それから外来や在宅へのシフトも考える必要があるのではないか。
こうした問題意識から平成26年改定で、先ほどからの話にあるように、急性期と慢性期・長期療養の間に、地域包括ケア病棟をつくった。回復期の場合は、急性期からのポストアキュートと機能が明確だが、地域包括ケア病棟はポストアキュート的な面もあれば、サブアキュート的な面もあり、いろいろな機能が混ざり合っている
いずれにしても、私はどこのステージからでも、できるだけ早く家に帰してあげるという、それが大事だと思う。そのために、すべてのステージに在宅復帰率のような指標を入れて流れをつくったわけである。
この改定後に、朝日新聞が「ときどき入院ほぼ在宅」という見出しで記事を書いてくれた。実は私は、平成24年の介護報酬改定でも、老健の入所も含めて同じように在宅復帰の設定を行ったのだが、これはそれまで入院したらしっぱなし、あるいは家に帰ったら帰りっぱなしというところを改めたかった。
特に、家に帰ったら帰りっぱなしというのが、家族の負担にもなっていたため、在宅を基本にしながらも、急変したりあるいは家族にレスパイトが必要というときは、患者の病状によってショートステイ的なサービスが必要だと思う。
また、患者が重症などで家で過ごすのが難しいという場合は、逆に「ときどき在宅ほぼ入院・入所」もあり得るのではないかということである。いずれにしても、本人の希望に基づいて、少しでも地域や家族と近づけるというのが必要ではないか。
■大医は病気だけでなく、地域も治す
ここで医師法をもう一度振り返ってみたい。医師は医療を提供するだけではなく、第1条に記されている通り、「医療および保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保する」、そういう目的のために仕事をするという話である。
そう考えたときに、専門医のあるべき姿としては一般医としての能力を持ち、幅広い分野をカバーしたうえで、高い専門性を持っていただきたいということである。専門だけに特化したような医師を増やしても、患者が地域に帰れるような状況をつくれないと思う。
中国に「小医は、病を医す(治す)。中医は、人を医す。大医は、国を医す」という古い箴言がある。
これを言うと、厚労省の医系技官が一番偉いんだろうとかいわれるが(笑)、そういう意味ではない。中国はもともと国という概念があまりなく、国というのはむしろ地域だと考えていただきたい。だから病気や人だけを治すのではなく、医師はもっと地域のほうに目を向けて、地域全体に良いコミュニティーをつくりあげていく役割が求められているのではないかということである。
ご存じのように平成26年から臨床研修が2年間義務化され、最初は7科目が必修だった。見直しによって3科目になったが、今また外科や小児科、産婦人科や精神科を、また戻せという議論がある。
つまり2年間で、基本的な診療科は学んでおけという話である。今の臨床研修制度が平成26年にできて10年以上たっている。医師は30万人ぐらいいるが、すでにそのうちの3分の1ぐらいはこの制度をくぐってきた先生方である。そういう意味では、義務化前の研修を受けたわれわれと違って、もっとベースがしっかりした先生方がたくさん出てきていると思う。
これまで述べたことをまとめると、まず自助の精神で、自分たちのことはできるだけ自分たちで行うようにしていく社会をつくる。そして、医療界がなすべきことは、自院だけが生き残るというのではなく、地域の中で役割分担を行うことが必要ではないか。また地域包括ケアにどう貢献するのかを考えた場合、医療提供のあり方もだいぶ変わってきているのだということ。
これらを踏まえながら、医療提供体制や提供方法などを、皆さん考える必要があるのではないかということである。
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病院主導で「いきいきと未来を感じられるまちづくり」推進
田中 志子
(内田病院理事長)
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医療法人大誠会内田病院の田中志子理事長は、最初に社会福祉法人が運営する介護施設等を含め同グループの医療・介護機能について触れ、そのなかで「どのような患者にも身体拘束を行わないケアを徹底している」と強調した。また、そのようなケアでBPSDなどが良くなっても地域に帰ったら悪化してしまうことから、認知症の方が暮らしやすいまちづくりに向け、さまざまな取り組みを行っていることについても紹介。ポイントとして「『みんな誰かの役に立ちたい』と思っている。まちづくりにはその気持ちを引き出していくことが大切」と強調した。
■「地域といっしょにあなたのために。」の理念を掲げ身体拘束ゼロを徹底
医療法人大誠会内田病院は、人口が5万人を切るような田舎にある。私たちのような過疎地でどのようなことができるのか、地域包括とはどういうことなのかということを、われわれの事例を通じて皆さんに知っていただけたらと思う。
われわれの病院のある群馬県沼田市は、「真田丸」の真田の地、尾瀬のふもとの大変風光明媚なところで、本州の真ん中辺りになる。病院を上空からみるといろいろな建物が並んでいるが、真ん中にあるのが病院である。病院の下半分が病棟、上半分は老人保健施設であった。病院の周辺にはグループホームが3ユニットや、サービス付き高齢者向け住宅がある。
そのほかに、特別養護老人ホームと株式会社で運営しているデイサービスがあり、急性期の治療であれば病院、在宅に向けてはさまざまな施設を使っていくなど、グループ内でも機能分化に力を入れている。
私たちの特徴として、身体拘束は全く行わないことである。つなぎ服やミトンも使っていない。食事も刻み食はではなく、黒田式高齢者ソフト食を出している。もう一つ、大切にしたいと思っていることは職員に対する支援である。厚労省も進めている「くるみん」という働きやすさの資格を取得。現在は、くるみんの上のプラチナくるみんを目指して職員と頑張っている。
当グループでは10年以上、幼老障一体という形で運営している。なぜかというと私はまちづくりということを20年ぐらい考えてきているからだ。きっかけは子どもが生まれて、この子どもたちとずっと、この愛するふるさとで暮らしたいというような思いからだった。母親としての思いは枯れることも絶えることもないし、子どもだけでなく、子どもの世代が自分のふるさとを魅力のあるところだと思って帰ってこられるように、そして働ける場所をつくりたいということも考えながら、ずっとまちづくりということを考えながら進めてきた。
私たちの理念を示した理念の樹というものがある。土壌はやはり、地域医療である。医療をベースにまちづくりをしていこうということである。大きな幹の真ん中に「地域といっしょにあなたのために。」という理念を掲げ、そして「共に育む」「共に創り出す」「共に癒す」という枝があり、それぞれの枝の葉に現在行っていることを全て書き、内外に自分たちの活動をしっかり理解してもらおうということを進めている。
■増改築に伴い認知症の患者に寄り添える造りに
私たちの地域包括ケア病棟の特色は、認知症の看護、ケア、リハビリテーションである。これを武器に機能分化を明確にしていこうと長年、取り組んできた。
一つには地域での機能分化、もう一つはグループ内における機能分化もしっかりやっていこうと考えている。
私たちの病院には常勤の精神科医はいないし、精神科病棟はなく、2次医療圏を見渡しても精神科の病棟はない。だから私たち認知症疾患医療センターは、内科系の一般病棟でありながら非常にBPSDの重い方も受け入れているという特徴がある。
6年前に改築を行った際、ハード的にも認知症の患者さんを支えていきたいと考えていた。それまでは狭い一般病棟の中で、認知症の方も看取りの方も一緒に診ていく、騒がしい時間もあるというような環境で、BPSDがつくられてしまっているというような状況があった。それを改善するため、認知症患者が落ち着けるように少人数で過ごせるリビングのある病棟というものを造り、また、介護する看護師にとっても負担の少ない環境をつくることができないだろうかと考えた。
2013年3月に増改築を行い、このときに病院機能を大きく転換している。もともと誇りを持って慢性期医療を提供してきた病院で、非常に重度の医療療養病棟と、やはり重度の一般障害者病棟を運営していた。しかし地域に当時、回復期リハビリテーション病棟がなく、加えて地域包括ケア病棟という最大最強の懐が深い病棟ができるという話を伺い、一般障害者病棟をそのまま残し、療養病棟を回復期のⅡ、地域包括ケア病床を12床という形に変更した。
地域包括ケア病棟の機能についてはポストアキュートや在宅支援機能等が挙げられているが、当院に当てはめていくと、まず大きく異なるところは高齢化率である。平均年齢が非常に高く、全国データでは70代の患者が多いが同院では80代である。
また、患者のほとんどをグループ内からのサブアキュートとして受け入れている。バックベッドがたくさんあるので、施設からの入院等もこちらにカウントしていると思う。そして、7.7%とわずかではあるが、救急にも対応しているというような病棟である。
病棟のスタッフステーションの真正面には、グループホームのリビングのようなスペースを設けており、ここで食事をしていただいたりしている。部屋から出てくると、必ずスタッフがいる、あるいはリビングに着けるというような構造になっている。
■身体拘束をしないことでBPSDが良くなる体験を共有
地域包括ケア病床の患者像として、当法人はグループ全体で認知症の方を見ており、身体拘束ゼロを継続している。BPSDのある方でも、決して抑制は行わないということを徹底しており、患者の気持ちを紛らわせるケアの環境が重要になってくると考えている。大誠会スタイルのなかでは、身体拘束ゼロというのは「共に癒す」という枝に入るものになる。
事例を紹介する。薬物による意識障害を起こしたアルツハイマーの患者で、他院から紹介されてきた。他院でどうにも手に負えない、非常に暴れてしまうため拘束されていた方であった。この方はちなみに、入院前は自宅で腰が曲がりながらも歩いて、ご主人や子どもさんたちと暮らせていた方である。
私たちの病院に来たときには、ものすごく暴れるから大変かもしれないと心配されたが、超低床ベッド等を用意してお待ちしていた。ところが超低床ベッドも必要がないくらい、着いた途端に点滴が必要なぐらい三日三晩眠り続けていらっしゃった。
最初はスタッフが声をかけるだけでも大変ご立腹され、いろんな物を振り回したり手が出たりしていた。
しかし2か月間、私たちがケアをすることによって、だいぶ落ち着きを取り戻され、表情もやわらかくなってきた。褒めたり認めたりすることにより、患者は劇的に良くなっていくのである。このような成功事例をいくつも積み重ねながら、私たちは縛らないでケアするということを続けている。
■徘徊する認知症患者、誰が先に見つけ出せるか小学生が競い合う
ここからが、タイトルにある「いきいきと未来を感じられるまちづくり」の話である。せっかく病院で良くなっても、地域に受け皿がなければ再びBPSDが起きてしまうかもしれないため、地域における認知症の方の居場所をつくろうという活動を行っている。例えば、認知症にやさしい地域づくりネットワークや文化的なラウンジ活動などである。
私たちはSOSネットワークを12年前に立ち上げ、第4回からは小学生を巻き込んで、「命の宝探し」という名前で、捜索模擬訓練を続けている。ボランティアの方に認知症の患者役を演じてもらい、その方がいなくなったとので、子どもの下校時間に合わせて捜索をする。
捜索だけでなく、その日の朝、認知症の方はどういうことで困っているのか、高齢者の人をこのように大切にしていこうなどを、DVDなどを見せながら子どもたちへの教育や啓発も行っている。私の夢は、沼田市民であったら小学生のうちに必ずこの訓練に参加した、あるいは先輩が参加していたり、参加したのを聞いたことがあるという小学生を育てるということである。
その小学生が大人になったときに、認知症の方が徘徊してしまうのは迷惑なことではなく、誰が一番早く探せるか、それを競うのがいい街なんだということを、子どもにわかってほしいからである。
さらに、沼田市認知症にやさしい地域づくりネットワークでは、群馬県警との協定を結んで、県警の捜索と二重にしくみをつくり、探している。これまでは当院でのハイリスク登録なども行っていたが、今度は警察とも2重のハイリスクの登録をするようになった。
これも他の地域に先駆けた取り組みでいろいろなところに取り上げていただいたが、沼田市、群馬県警、そして認知症疾患医療センターである当院ではモデル事業として、静脈認証で行方不明になるリスクの高い方、「BPSDがあり、なおかつ脚力の強い方」などを登録しておいて、自分で話ができなくても探すことができるしくみをつくって動いている。現在は40名近くが登録している。
文化的なラウンジ活動も行っている。認知症の方のいきがいづくりや役割発揮をしてもらうための場所である。ボランティアが歌を歌ったりするが、ポイントは、このボランティアが私たちの病院で家族を亡くされた遺族であるということだ。
面会に来ることがなくなり引きこもりの心配がある方などに、ボランティアをお願いしている。「もう歳で駄目ね」と言っていたMCI(軽度認知障害)の方にも書道の先生をしていただき、認知症の方が受講生というような活動を行っていたり、普段はデイサービスに行っているような方も、お嫁さんと一緒にボランティアに来てくれる。
運動が好きな方には1カ月3,000円で使い放題のトレーニングセンターで人と接していただくほか、今までやっていた畑活動が続けられる場もつくっている。もう長男に畑を譲らなければならず、おじいちゃんは草じゃなく苗をむしると怒られているような方も、ここに来ると人に教える役割に変わる。
宇都宮先生もおっしゃったが、まちをつくるというのはどういうことなのか。私たちのような過疎地域でこそできることは何かということを考えている。ポイントを挙げると、まちづくりをしていて思うことは、みんな誰かの役に立ちたいと思っているということである。障害のある子どもの学童保育を老人ホームの中で行っているが、障害のある子が、スピードを出してしまうけれども気難しいおじいちゃんの車いすを押す。家に帰りたくなったおばあちゃんに声をかける女の子も障害者である。2人の会話が通じているかはわからないが、何かかかわろう、助けようと考えているのだろうと思っている。
新しく病院の空きスペースにオープンしたがんサバイバーの女の子と一緒につくったセレクトショップがある。病院でもおしゃれをしたい、地域の方で買い物に行けなくなった方も、病院に買い物に来られるようなところをつくりたいという活動を行っている。
地域を巻き込んでみんなで元気になりたい、みんなで楽しくやっていきたいということを考えながら、地域包括ケア病棟を1つのツールとしてまちづくりを進めていけたらと考えている。
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地域に末永く暮らしてもらうために病院がなすべきこと
安藤 高朗
(第3回地域包括ケア病棟研究大会大会長、永生病院理事長)
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大会長を務める安藤高朗永生病院理事長は冒頭、地域包括ケアを構築していくためには「地域の実情を把握するとともにそれを住民に周知させることが大切」と指摘、また、地域包括ケアの見える化を図るためのインディケーターを紹介した。医療法人衛生会の活動としては、「地域で高齢者の救急医療なども完結させることを重視し、地域のネットワークづくりに力を入れてきた」と振り返った。さらに、地域包括ケア病棟がポストアキュート機能に偏っている現状に触れ、「サブアキュートをもっと評価してほしい」と訴えた。
■人口動態のピラミッド図を市町村のロゴマークに
私からは、1つは「地域包括ケアの構築に向けて」をテーマに少しオリジナルな話をさせていただきたいと思う。2つ目は八王子市を含め当院でも行っている「地域包括ケアについての役割」、3つ目は「永生会における地域包括ケア病棟の現状」、最後にまとめをお話をさせていただきたいと思う。
地域包括ケアと言われているが、ずっと何かもわっとしていた。厚生労働省の方に聞いても、成功事例を踏襲して地域ごとでつくっていただければ結構だという話である。そこで東京青年会という若手の勉強会では、仲間である内藤誠二先生の内藤病院が地域に非常に密着した病院を運営しているので、その内藤病院のある渋谷区・初台を「初台プロジェクト」として徹底的に調べてみた。
初台のまちが2030年、2040年になったときにどのような状況になっているのか、数百種類のデータをインプットして導き出してみると、日本の人口ピラミッドは高齢者が多い釣鐘状が有名であるが、初台地区では将来的に高齢者があまり増えないスペードのような形になった。なぜかというと、初台は新宿に隣接してベンチャーなどいろいろな企業があり、若いときはこのまちに住んで仕事をするが、結婚して子どもができると他のエリアに移ってしまうからである。
また、医療費や介護費の状況を調べてみると、2040年には入院・外来医療費を足した医療費合計は13%アップの25億円しか増えない。介護費を含めても48億円増にとどまり、そうするとまちの予算でも何とかやっていけるという結論になった。
このような調査を全国の市区町村で行っていくと、自分たちのまちが将来どうなるのかということがよくわかる。そこで、東京都医師会から300万円の研究費を得て統一の勉強会でさらにこれを研究し、さまざまな地域のピラミッド図をつくってみた。各地域でさまざまな形の未来図ができあがるが、1つとして同じ形のないピラミッド図を市区町村のロゴマークにすれば、行政と住民の意識改革にもつながるのではないかと考えている。
■臨床指標をつくって地域包括ケアを見える化
もう一つは、地域包括ケアをもっと見える化していく目的で、地域包括ケアのインディケーターをつくった。元医政局長の伊藤雅治先生にインディケーターをつくってみたらどうかと言われたことによる。医療機能評価では、ストラクチャー、プロセス、アウトカムという3フェーズに分かれているので、これを利用してインディケーターを作成してみた。
ストラクチャーは、例えば地域包括支援センターがあるかどうか、あるいはかかりつけを持っている人の割合、認知症初期集中支援チームの数や認知症サポート体制の構築率がどれぐらか、退院支援の担当者が配置されている、また地域包括ケア病棟に関しては地域包括ケア病棟の病床数などである。
プロセスとしては、例えば地域ケア会議のメンバー構成はどうなのか、多職種連携での勉強会や研究会があるのか、あるいは病棟において退院後を見据えた投薬管理の指導が行われているかが中心になる。地域包括ケア病棟に限ると、地域包括ケア病棟がどのような病棟かが住民の人たちに周知されているかや、地域において地域包括ケア病棟の稼働率情報が共有されているかがプロセスになると思う。
このようにストラクチャー、プロセスを加味してできたのがアウトカムである。地域全体で考えると、医療・介護サービスの連携率や地域における在宅復帰率、あるいは東京で問題になっている孤独死の発生数・発生率、防止率、在宅での看取り率、また地域包括ケア病棟に限ると、地域包括ケア病棟の地域での利用率、サブアキュート、ポストアキュートの比率、そういうところがアウトカムになるのではないかと思っている。
このインディケーターは面白いということで、本日発表される京都大学の今中雄一先生が国際学会で話をさせてくれと言われ、英語で発表していただいた。このようなしくみを皆でつくるのは結構楽しいし、有意義ではないかなと思う。皆さんもぜひ力を合わせて、このようなインディケーターどんどんつくっていただければと思う。
■急性期から慢性期まで8種類の病棟を揃える
次に、「地域包括ケアにおける病院の役割」である。医療法人社団永生会グループでは急性期から在宅までの一貫したサービス提供を目指しているが、永生会でいう住まいは、サ高住やグループホームが該当すると思う。あとは急性期、回復期、慢性期、介護施設、また介護保険事業、そして在宅という流れになっている。
グループの1つである南多摩病院は7対1が170床の急性期病院である。もともと国保が運営した病院だったが、公的病院の民間委譲の際に手を挙げてみたら受かってしまった。
これまで慢性期医療しか提供してこなかったので急性期の運営は大変だった。看護師が一度に50人辞めてしまったし、医師も3分の1が辞めてしまい、当初は毎月5,500万円の赤字を抱えた。
さらに当時、八王子市は小児2次救急医療が絶対的に足りず、八王子市と医師会長が一緒にきて南多摩病院が火の車だというのはよくわかっているが、大変ついでに小児2次救急もやってくれと要請された。小児科医を探すのは大変だったが、清水の舞台から飛び降りる気持ちでなんとか医師を集めることができた。ママさんドクターや都立病院をリタイアされたがまだ現役バリバリの60代のドクターなどに支えられて運営している。
南多摩病院の院長には千葉北総病院の益子邦洋先生に就任していただいた。これを機に断らない救急を実践するようになり、救急車搬送件数は400台から、今は4,500台へ急増している。しかし経営的には小の月は黒字だが大の月は赤字でまだ大変である。
そのあとを受ける永生病院では、療養病床から転換した地域包括ケア病棟も運営している。南多摩病院の7対1を含めると、全部で8種類の病棟が有していることになる。
まちづくりのコンセプトとしては、「医療と介護を通じた街づくり・人づくり・想い出づくり」を掲げている。特に大事なのが想い出づくりで、永生会のサービスを受けて本当に良かった、良い想い出ができたと患者に感じていただく。そして、われわれ医療スタッフや介護スタッフも質の高いサービスを提供できて達成感を得られたという、良い想い出を抱いてもらう。その患者と提供者の想いのコラボレーションが、地域包括ケアの最高のアウトカムではないかと考えている。
八王子市では高齢者救急という概念をつくり、八王子市高齢者救急医療体制広域連絡会(八高連)を運営している。住み慣れたまちで在宅のお年寄りの具合が悪くなり、2次救急病院に運ばれたが、満床等により受け入れられない場合、他のエリアに運ばれてしまう。そこでさらに重症化したりADLが下がると、軌道を外れた人工衛星のように二度と住み慣れた八王子に戻ってこられない。
そのような不幸な経緯を辿らせないために、2次救急医療団体や慢性期医療団体、八王子市、警察、消防、老人クラブなど、すべての人たちが集まってつくったのが、救急医療情報シートである。本人のお名前とかかりつけの医師や医療機関の名称、服用している薬の種類などを書き込む欄があり、とことんまで医療をやるのか、あまり延命を希望されずに苦痛を和らげる医療なのかなども記入してもらい、それをご自宅の冷蔵庫など目に付きやすいところに貼って、救急隊がそれを見てその方に合った医療機関に搬送するというものである。仲井会長が入院する前の生活支援を受けているかどうかも大事だと指摘されているので、新たに「生活支援を受けているか YES/NO」と欄をつくってもいいと考えている。
■サブアキュートをもっと評価してほしい
永生会の地域包括ケア病棟は、医療療養病床からの転換であるため、診療報酬が上がって経営的には良くなる。稼働率は療養病床のころより少し低下しているが、90%ぐらいを維持しているような状況である。病院全体でのポストアキュートが50%を超えているので、われわれの地域包括ケア病棟はポストアキュート連携型ではないかと思っている。
地域包括ケア病棟に入院する患者の入院元は病院が58%(自院が17.2%、他院が40.7%)、外来や介護施設、その他が42%である。退院先は、自院が18%、その他が8割以上という状況になっている。やはり地域包括ケア病棟といっても、地域住民にはまだよく理解されていないため、病棟に転換する半年ぐらい前から、リーフレットをつくって地域に配り、同病棟の周知に努めている。
療養病床から転換するにあたってはスタッフの意識改革が大変だったが、在宅復帰率は8割で、データ提出加算を取得することができた。また、重症度・看護必要度は30%と高い水準を維持している。平均在院日数は38日は全国平均と比べると少し長めというところである。在宅に向けては、入院から退院までさまざまなカンファレンスを頻繁に行っているのが特徴である。
私も地域医療構想調整会議に半分ぐらい出席しているが、そのなかで問題になっているのが、現状の地域包括ケア病棟はサブアキュートの受け入れが少ないのでないか、自院のために活用されているのではないかということである。また東京都地域医療構想推進事業における転換補助は病棟単位で行われており、中小病院で主流の病室単位での転換には補助金が出ないのも問題である。
そこで要望したいのは、サブアキュートをもっと評価してほしいということと、東京に限っては小規模病院の経営が非常に苦しい状況のため、小規模ファーストでお願いしたいということである。病棟単位ではなく病室単位での転換補助を提言させていただいている。さまざまな地域格差や規模、公私の違いもあるが、やはり地域医療構想調整会議でざっくばらんに話し合い、方向性を決めていくのが筋ではないかと思っている。
まとめとして、スタッフにもよく言っているのだが、やはり院内外の内部要因と外部要因をきちんと考えていこうということを言いたい。それにはデータが必要であり、データで分析して実践していくことが肝要である。
内部要因としては、自分たちの病院の患者がどんな病態像か、またマンパワーがそろうのかどうかということである。
外部要因としては、地域の人口動態や疾病構造が将来的にどうなのかが1つ。また、地域の医療と介護のニーズを精査することが必要である。
2つには、やはり地域の医療機関や介護事業所との競合状態や連携状態を把握し、がっちり競合している場合は、すみ分けが可能かどうかも考えていくことが重要である。それは地域医療構想調整会議が該当するかもしれない。
また、3つには、地域包括ケアでは行政からもいろいろな要請がくると思うが、行政の話がくる前に、自分たちでこんなことをやりたい、一緒にやろうという姿勢で、むしろ行政を巻き込んでいくぐらいの行動力が大事なのではないかと考えている。
(了)
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