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【基調講演】
【基調講演】
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地域とともに歩む病院を目指して
座長:武久洋三
(日本慢性期医療協会会長、博愛記念病院理事長)
演者:石川賀代
(第2回地域包括ケア病棟研究大会 大会長、HITO病院 理事長・院長)
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〇座長:武久洋三(日本慢性期医療協会会長)
ただいまから基調講演を始めたいと思う。第2回研究大会は本当に盛大な会になっている。
私は隣の徳島県出身だが、四国で開催しても人が集まるのかと懸念していたが、心配を吹き飛ばすような熱気あふれる会場である。
大会長石川賀代先生は、皆さんが見た通りお若いが、明らかなのは、昨年度よりも頑張っておられるということだ。
私は四国であるので40年前から松山へ行く時は、石川病院の横を通っていた。今日も高速道路の上から見ており、
その変遷もつぶさに見てきたので感慨もひとしおである。
石川先生のご略歴は大会誌をご覧いただきたい。東京女子医科大学の卒業であり、消化器内科を専門とされ、
のちにお父さまの元にお帰りになり、大きな改革をなさったということで、私も本当に驚いている。
大変な改革をやってのけたということで、驚嘆している。会場の皆さんと一緒に先生の話を聞きたい。では石川先生、よろしくお願いします。
〇石川賀代(第2回地域包括ケア病棟研究大会大会長)
過分なご紹介に感謝する。おそらく私の父とほぼ同年代ということで、父に紹介をしてもらっているような気持ちになった。
新病院ができて4年目を迎えるが、この医療情勢の中でどうやって病院を安定的に継続して維持していくかということは非常に難く、日々悩んでいる。
悩んでいる過程も含めて話を聞いていただければと思う。
まず私どもの医療圏の現状について。私の病院がある四国中央市は、どの四国の県庁所在地に行くのもほぼ1時間ということで四国中央市という。
2次医療圏は宇摩圏域で、この圏域は香川県と徳島県の県境である。都市区分としては地方都市型で、地方にある人口9万人程度の市ということで、
高齢化率も皆さまがおられる地方の都市とほぼ変わらないと思われる。
四国中央市は紙産業が盛んである。今年4月の愛媛県内20市町村の高齢化率を見ると、下から数えて5番目である。
17~20番目までは中予地方にあたる松山周辺が占めているが、その中でも我々のところはかなり頑張っている。
四国中央市の高齢化率29.8%という数字を見てなるほどと思った。これが今後の鍵になると思われる。
私どもの圏域は香川県、徳島県の県境にあり、地域医療構想等いろいろ地域で議論があるが、やはり一番の問題は流出である。
私どもの病院は新居浜市の隣の市であるが、新居浜にも急性期の大きな病院があり、隣の香川県には3次救急の、500床近い病院もあるということで、
この圏域でどうやって自分たちの医療体制を守っていくか、もしくはどういった戦略を立てるかということが重要だと考えている。
四国中央市の中で高齢化率が上がっていく中で、後方支援病院というのはどれだけあるかと言うと、地域包括ケア病床を持つ病院が1施設。
あとは精神科の病床を中心に展開している療養病床を持つ病院が二つ。あとは一部に回復期病棟を持つ病院が一つということで、
後方支援先としては乏しいということが言える。
地域医療ビジョンによる宇摩圏域の病床需給ギャップは、患者の流出・流入ということを加味した上で2025年に必要と予想される病床数を出している。
2025年の医療提供体制を現状のもとで考えていいのか、しっくりこないという思いもある。急性期病床は100床以上も多くあるが、
回復期・高度急性期は足りていない。
あくまで私見であるので正しいかどうかはわからないが、やはり地域に必要とされる病院となるには、地域特性も考慮する必要があると思われる。
旧病院、前は石川病院と言われる病院を新築移転するということで、ブランディングの強化とスタッフの確保、高齢者に対応する医療体制、
切れ目のないリハビリの提供、特化する領域、地域を元気にする取り組みといったことが必要ではないかと考えた。
ブランディングの強化であるが、なぜHITO病院という名前にしたのかをよく聞かれる。
これまでは石川さんがやっている病院なので石川病院だったわけだが、そこから一つ脱却したいというのがあった。
私が東京の大学や病院にいたことから、こちらに帰ってきてみて、公的医療機関が強いということを肌で感じた。
それが悪いというのではなく、民間病院が生き残っていくには、何を目指すべきなのかということを強く考えた。
ちょうど40年前、私の父が四国中央市で病院を始めたが、2009年に近くの県立病院の民間移譲が決まり、104床の急性期病床が移譲された。
そこから私が理事長に代わるというストーリーが始まることとなった。
リニューアル前、石川病院時代は153床だったのがリニューアル後は257床に増え、ではどういう機能を持たせるのかということになった。
新しい病院にするイコール「新しいもの」を作るのか、古き良きものを大事にしつつ、
どうすれば新しい病院に生まれ変わることができるかなど、考えた。
石川病院は34年間続いた。地域で目指してきた病院の基本姿勢は救急病院で患者を断らないということであったが、
リニューアルにあたり自分たちはどのような病院を目指したいのかをまず考えなければいけない。
そのためにはぶれない指針が必要であり、それをどう形にし、スタッフに伝えていくのかが問題である。
104床増えることはスタッフが急激に増えることを意味する。非常に危機感があった。
その時、ブランディングの方向性の検討ということで、一番大本の石川病院らしさとは何なのかを考えるため、広告代理店にお手伝いいただいた。
私が思っていたのは、病院のイメージというものは、機能を追求した医療側の都合によって作られているのではないかということがあった。
石川病院らしさとは何かといった時に、「断らない」「誰も見捨てない」「患者さんを家族のように思う」ということが、病院のコアともいえる、
大事にしなければいけないことであった。
私としては、空間が患者さんに与える影響は大きいと考えていたので、患者さんの心が癒やされるような空間を何とか実現できないものかと思った。
また、患者さんに一人の人として向き合う姿勢であったり、患者さんの視点から発想した医療空間とはどういうものかということを考えながら、
病院を作った。
どういう病院にしたいのかということを形にする上で重要なことは、言葉にすることだと思っていた。そうして出てきたのが、
ブランドコンセプトとしての「人を真ん中に置いた病院」である。
「人を真ん中に置いた病院」ということをコアな部分にすえて、実際のネーミングであったり、
自分たちが医療を提供するにあたり何を中心に展開するかといったことや、空間デザインや、院内のいろいろなアイテム、
建築物や、CI(Corporate Identity)・VI(Visual Identity)など、作り上げていく。
病院の名前を変えるということは勇気が要ることであった。実際に病院名を変えるにあたり広告代理店にお手伝いをいただいたが、
この「HITO病院」という名前を選んだのは、私しかいなかった。
自分たちが病院の名前を言う時に、実際の行動規範があらわれているというのが、この名前がいいと思ったゆえんである。
患者さんの「HITO」、働く方の「HITO」ということがある。また、「Humanity」「Interaction」「Trust」「Openness」の英語の頭文字を取った。
頭文字のそれぞれに意味がある。
「HITO病院」という言葉を口にするたび、「なぜHITO病院というの?」と聞かれる。そのたびに、これを説明することになる。
説明するたびにこのコンセプトを言うことになる。それは非常に重要なことではないかと私自身は考えた。
ロゴデザインの中に赤い線が入っているが、これはライフラインといって、HITOをしっかりと支える命の赤い線という意味がある。
スローガンは「いきるを支える」とし、「病を診る」だけではなくて、「人を診る」医療でありたいということが強くメッセージとしてある。
行動規範である「Human 1st.」は、「患者様第一」ということで缶バッジにして、病院のスタッフ全員に付けてもらっている。
私たちはこういったことを思って医療を提供しているということを、スタッフに、そして患者さんに分かっていただくことが大きいと思っている。
病院のミッションは「誰からも選ばれ、信頼される病院」であり、経営理念は「HITOを中心に、社会に貢献する」、
つまり「Human 1st.」の精神でということになる。これがHITO病院と名前を変え、ブランディング強化したという意味である。
私どもの病院は最初は19床から始まり、増築によって少しずつ大きくなり、介護系の施設も持ち、いろいろな形で展開していく中で、
いろいろなものが混ざり合っていった。私がちょうど理事長・病院長になったのは2010年だが、私が一つ先代にお願いしたのは、
もし私が病院を新しくして、理事長になるのであれば、「社会医療法人」にしたい、ということであった。それは二代目として事業継承するにあたり、
新築・移転ということで大きな借金を背負う。そしてスタッフが増えるということで責任が増える。
ゆえに社会医療法人として税法上優遇措置があるというのは非常に魅力であった。
これまで救急医療をメインとした病院であったということもあり、公的な医療機関に準ずる法人になるということも重要だったと思っている。
今年、石川病院が開設してちょうど40周年になる。グループ内の事業の再構築ということで、もともと社会福祉法人を持っていたので、
私が理事長になった時に、父が新しい医療法人を作ってクリニックを開設し、そこに介護系の訪問看護・老健・サ高住を関連させるなど、
医療系サービスと介護系サービスの切り分けをグループの中で行った。このような流れの中で、終末期の取り組みと在宅医療を強化しようと考えた。
こう話すとグループ完結型にしたいのかと質問が出るのだが、必ずしもグループ完結型にしたいわけではない。
しかし高齢者の方々に安全に家に帰っていただくということを考えると、そのようなグループ内構成にしていかなくては、
なかなか難しい現実があると感じている。
今は社会医療法人石川記念会、医療法人健康会、社会福祉法人愛美会と三つのグループから構成されている。
急性期や専門医療を中心に展開しているHITO病院を中心に、回復期、介護施設、在宅介護支援など様々な機能が周りにある。
今、石川ヘルスケアグループは28施設、10事業所で、スタッフ数は1000人ぐらいの規模になっている。
「いきるを支える」という当院のコンセプトはHITO病院の開設時に考えたもので、周産期はまだ対応できていない。
四疾病の対応や救急医療は、もともと展開していたものをさらに充実させていく。スタッフの教育、チーム医療の充実、
終末期に対してしっかり在宅で支えていく仕組みを作ろうということもコンセプトに含めている。二次救急病院として特に時間との勝負であり、
かつ圏域内で完結しなければならない。
特に心臓疾患、脳卒中というのは必ずうちの病院、圏域のどこからでも来てもらう。
高度急性期からどうやって在宅まで安心して帰ってもらうかを一緒に考える。四疾病で専門性の高い疾患でも、
地域の医療機関と連携していくことで地域を支えていく。
そして地域包括ケアシステム実現に向けてグループの資源をうまく使って医療介護連携を提供していくことを私たちの役割と考えている。
病床が増えるのはスタッフ数が増えるということで、医療職をどうやって確保するかということに皆さん頭を悩ませていると思う。
宇摩圏域も決して恵まれた所ではなく、医師数の割合は全国平均と比較しても40人くらい少ない。
看護師数は全国平均からすると若干多いが、愛媛県の平均からすると非常に少なく、ほとんどが中予圏域に集中している。
医療職は松山の周辺にほぼ集中しているという現状である。104床も増えてスタッフはどうするのかといった時に、父も私も頑張って、
今医師数がやっと臨床研修医を入れて30人を超えた。私が医長になった時は16人であった。理学療法士とリハビリスタッフは、今年80人になった。
午前のシンポジウムで九段坂病院の中井修先生もおっしゃっていたが、
うちはもともと10対1だったのを医療機能が上がってきたということで平成26年に7対1に転換した。
今後どうするかという課題はあるが、スタッフ数は何とか今の状況でやっている。
私が非常に重要だと思っている総合診療医であるが、医師の採用はやみくもに誰でも来てもらえばいいというものではない。
ここにも戦略が必要だと思っている。 特化する領域や、どのドクターに来てほしいのかというのは重要で、
医師の獲得は5、6年前からずっと取り組んできた課題である。
去年の11月に朝日新聞で取り上げていただいたが、大阪の大病院で勤務されていた婦人科の部長にうちの病院に来ていただき、現在、
当院で婦人科の部長をしていただいている。大都市から地方に来ることはなかなかまだ現実的ではないが、
こういった流れがおそらく今後増えてくるのではないかと思っている。
必要な人材をどう確保するかというのはどこの病院でも頭を悩ませる問題だと思う。
地域でどの診療科をカバーするか、自分のところで全てカバーするわけにはなかなかいかないので、やはり自分たちの強みは何かということについて、
ほかの医療機関の状況を見つつ、戦略を立てねばならない。
医療を提供する側としては、「やりたい医療は何か」を先生方と一緒に考えるのは非常に重要なことで、
その理念や姿勢に動いてくれるドクターは多いと私自身は感じている。
今、関西圏から常勤の医師に4人来ていただいているが、いずれも大学派遣ではない。もちろん大学派遣の方も大事だと思うが、
大学派遣を待っていてもなかなか来ないというところもある。
高齢者に対応する体制について、グループ内の医療資源の活用ということで説明したい。疾病予防から在宅支援までであるが、
ここに必ず必要なのが地域との連携である。それは行政や地域住民であったり、これが広くなると地域包括ケアということになるのかもしれないが、
ここにどのようにしてうちのグループが関わっていくかが大事になる。
高齢者に対応する体制は石川病院時代からいくつか病床機能を変えてきた現状がある。
急性期の病床の入院患者の年齢区分であるが、当院で大体6割弱が75歳以上である。
おそらくこれが年々増えていき、6割、7割、8割になっていくだろう。
こうした中で、これは私の課題なのだが、病床の機能分化がうまくいけば27年度には75歳以上の方の在院日数が短くなるのではと、
狙っていたが、狙い通りにはいかなかった。まだまだ課題が大きいようである。
石川病院時代からHITO病院への病床の変遷の中で一番考えたのは、切れ目のないリハビリと、高度急性期から在宅までつなぐということで、
高度急性期の機能をあげるためにハイケアユニットである。これが非常に重要な位置付けになってくる。
また、どうしても高度急性期を担うのであれば、スタッフ教育の観点でもハイケアユニットの新設が必要だった。急性期の部分ということでいえば、
うちの病院の場合、ポストアキュートの部分が最初は大きかったが、地域包括ケア病床に最初35床を転換し、
リハビリの専従医が来たので回復期リハビリテーション病棟入院料1を平成25年に取得し、緩和ケア病棟を新設した。
そして昨年の5月1日から全床開床となり、今は257床を、高度急性期のハイケアユニット、7対1急性期、地域包括ケア45床、回復期リハ50床、
緩和ケア17床で構成している。
今年の10月から来年にかけてどのような配分に変えていくのかというのは頭が痛いところであるが、やっていくしかないと思っている。
全ての領域に特化して取り組むということは難しいので、うちの病院に関しては脳卒中と心疾患、変性疾患であると考える。
四疾病の部分もあるが早期のリハビリで治療成績が上がる疾患をまず集約的に治療していきたい。
緊急の心臓疾患に対して緊急のカテーテルの治療ができるようにした。終末期で緩和ケアが対応できるし、四疾病の部分では、
がんの化学療法医に来ていただいた。さらに放射線治療の充実がある。
2年目はチーム医療をどうやって充実させていくか、加えて、スタッフ教育の部分をどう後押ししていくかということがあった。
脳卒中センターも開設しハイケアユニットを10床増床した。「センターを作ること自体に意味があるか?」と聞かれる場合があるが、
患者さんにとってはチーム医療が見えやすくなるし、
いろいろなものが組み立てやすくなるので横断的に動けるスタッフが増えるというのは重要なことだと思っている。
また、急性期を7対1に変えたということ、創傷ケアセンターを去年開設したこと、褥瘡患者のめまい講座であったり、
地域にドクターが出向くということなども始めている。
そして糖尿病センターも開設して、今年の4月には人工関節センターを開設し、念願の総合診療医にも来ていただけたので、
今は専門医の後期研修プログラムを出しているところである。
地域で必要な医者を地域で育てる仕組みというのがこれからどうしても必要になると思っているので、そういったことを同時に進めていく。
さらに、地域包括ケア推進部も今年4月に開設したので、これからどうやって行政や市民の方と協力して活動を行っていくかを模索している。
今、私が掲げている医療機能の向上と、地域連携、かかりつけ医、医療機関行政機関との関わり、退院支援、在宅復帰などについては、
患者さんを中心にいろいろな形で相互的に作用していく。ここに必ず予防という観点も入ってくると思われるが、
今はこういったことを中心に展開しているという現状である。
切れ目のないリハビリの体制ということで、回復期リハとケア病棟が違うのは、仲井会長の提唱する4つの機能であるポストアキュート、
サブアキュート、周辺機能、在宅・生活復帰支援のうち、4つ目の機能が重要かと思っている。そのほか、実際には急性期でも行っていることではあるが、
在宅に安全に帰ってもらうための体制としてどういうことを多職種協働のチーム医療で、地域包括ケア病棟でやっていくかということが重要だと思われる。
「ご当地システム」という言葉がある通り、その地域で地域包括ケア病棟に求められる機能というのは違いがあると思っている。
回復期リハ病棟での取り組みは主に機能回復である。脳卒中の患者さんが主になるかと思われるが、生活全てがリハビリとなるのを目的にして、
在宅支援をしていく。摂食嚥下訓練や栄養管理も、これも地域包括でも実際にやっていることであるが、
どちらかと言うとやはり脳卒中の患者さん等で嚥下機能が悪い方に対して機能を回復する。そこにリハビリの資源をできるだけ強化させ、
投入していくということが回復期リハとケア病棟の違いだと思っている。
地域包括ケア病棟の取り組み自体は、うちでは仲井培雄先生のところと同じように、
「ポイントオブケア」でポイントで生活支援に必要なリハビリを提供する。もしくは集団リハビリや個別の運動訓練を指導させていただいている。
院内の認知症デイケアは週2回2時間程度で提供している。認知症の方はお互いに一緒に作業することでモチベーションが上がったり、
病棟の生活に早く慣れるということもあるので、こういう取り組みを行っている。これはスタッフの教育にもつながっていると思っている。
今は、看護師やリハビリスタッフが一緒に院内デイの提供を行っている。
切れ目のない多職種協働の連携、取り組みの中で、高齢者に必要な退院支援で一番大事なのは合併症予防だと思っている。
いかに安心して帰ってもらえるか、入院中にできるだけ合併症を発症させない仕組みとして何が要るかということになる。
その中で、やはり認知症や口腔ケアなどの取り組みは重要である。またここに栄養という観点も入ってくると思う。
急性期からすでに始まっていると思われるが、医師からそれぞれの患者に必要な物をきちんとアセスメントして、
多職種で効率的に行っていくというイメージだと考えている。院内デイケアでは、スタッフ2名で対応している。
SST(Swallow Support Team)のチーム活動に関しては、2年前から、非常勤であるが週に2回歯科医師に来てもらっており、
歯科衛生士と一緒に患者さんのスクリーニングを行い、SSTの活動をしている。宇摩歯科医師会の協力で私どもの病院の中に地域の歯科連携室がある。
歯科衛生士は普段元気な方の口の中しかみていないので、歯医者に来る患者さんと、病気で入院している患者さんをみるのはスキルが全く違う。
まず口を開けてもらうことから大変だということをよく聞くので、
病院で入院している方を歯科衛生士がみる時は訓練が必要であると歯科医師から聞いている。
歯科衛生士の在宅への派遣や、これから現場に出ていってもらうための、教育の場としてHITO病院を提供している。
こうして、在宅に強い歯科衛生士を作っていく。
おそらく歯科医師も同様で、病気の方の口の中を診るのは訓練が要ると聞いているので、
こういった市内のいろんな医療機能の支援も一緒に進めていきたいと思っている。
多職種協働の合同カンファレンスを急性期への入院時からやっている。こちらのサポートセンターで入院前の患者情報を集積し、
入院時にはすでに情報が入力されている。そこで退院支援加算等のこともあるので、
ケアマネージャーに必要な情報をできるだけ早くキャッチしてもらった上で、退院支援を動かしていく。
高齢者は多疾患でなかなか難しいケースもあるので、これからおそらく退院困難事例が増えるだろう。
入院時のスクリーニングを行っている中でも、やはり75歳以上の方の退院支援困難例が非常に増えているので、
スクリーニングの後のアプローチも結局すぐにできるものではなく、チーム内のいろいろな職種がスキルを上げるため、
事例検討会や、実際に帰った方の振り返りをしていかないと、自分たちが提供したサービスが患者さんにとって本当に良かったかどうか、
判断が悩ましい。こちらは良かれと思ってやっていても、帰ってみたらスクリーニングを受けなくなったとか、
帰ってリハビリしている時はよかったがリハビリをやめたらまずくなった、というのは適切なサービスとは言えないと思う。
在宅に帰ってどうなったかということを入院中から関わっているスタッフがフォローしていくことが重要だと感じている。
そのため、勉強会や事例検証を去年から行っている。
在宅復帰を考えた病床配置ということで、地域包括ケア病棟、回復期リハ病棟とそれぞれあるが、
今はできるだけ自宅に帰るためのことをしているという段階で、今後安定的な状態で回していくためにはまだまだスタッフ教育が足りないと感じている。
これが新人教育から自然にできる体制に整えるのが重要だと感じている。
これまでの成果だが、旧病院時代から比べると、救急患者数、救急車搬送件数は1500件とかなり増えてきているが、
病床が増えたので当たり前といえる。在院日数の面はまだまだであるし、稼働率は今やっと急性期が8割を超えてきたものの、改善すべきことは多い。
ケア病棟は稼働率95%以上はいっているのでまずまずである。延べ入院患者数は平成27年度は全体で6580人、高度急性期の部分、
急性期・回復期も増えている。特にケア病棟は、平成26年度は898人だったのが昨年度は1200人まで増えた。
旧病院から新病院に代わり逆紹介にも力を入れた。先代の時は、逆紹介を一切していなかったので、
地域の先生方に分かっていただくのが非常に大変であった。今は少しずつご理解いただいている。
外来の紹介患者数は、波はあるが少しずつ増えてきている。ケア病棟や回復期リハ、
他院からの転院の患者さんも受け入れていくというところが大きいと思われる。地域包括ケア病棟の稼働率はほぼ98、99%とスタッフが頑張っており、
ポストアキュートの機能がほとんどであるが10床増床後も、だいぶ上がってきていると思われる。
ここまでは病院の機能についてで、苦労をしながらの稼働率などの話だったが、ここからは広報活動についてである。
広報活動自体は、病院がやっていること、病院が提供していることを患者さんなり院内スタッフにきちんと分かってもらうということが重要だと思っている。
今、私たちが広報で一番大事にしていることは、未来を見据えた地域貢献の取り組みである。
自分たちへのリターンがあるかは一切分からないが、地域に必要な病院となるためには欠かせないことだといつも思っている。
広報にも戦略があり、開院時はまず病院の名前を知っていただくため、病院の認知を高めることが第一のステップである。
市内の医療機関との関係づくりであったり、その次は地域包括ケアを意識して市内の医療・介護職の方と触れ合ったり、研修会を実施したり、
子どもさんにオープンホスピタルということで病院の場を提供したりしてきた。
今年はまず患者さんの家族の声を聞き、こちらが市内で何を求められているのかを一緒に考えていくということをしてきたいと思っている。
開院1年目は、おそらくどこの病院でも行っているであろうが、市民向けや医療職向けのイベントを行った。
地方の病院なので餅つき大会であったり、市民に対するイベントである。
そして必ず、「センターができる」、「新しい診療科ができる」という時には、かなり前から、広報が順番に計画を立てて進めている。
広報誌発刊が赤の丸、糖尿病コースが黄色の丸、栄養教室が紫の丸である。実際に脳卒中センターを開設した時は、脳卒中相談会をし、
市内のケーブルテレビで無料番組を提供した。広報にはお金がかかるものだろうとよく質問を受けるが、基本的には全てお手製でやっているので、
印刷代はかかるものの、広報のスタッフ2.5人が、ほとんど自分たちでやっている。持ち込み企画がほとんどなので、基本的に外に出すことはしていない。
いろいろなかかりつけ医のシンポジウムや医療職の勉強会をし、2015年は市内に出て、医療体験ツアーも初めて開催した。
地域包括ケアを意識した中で自助・互助の取り組み、そして自分たちが何をしていくか、
センターの開設に伴って自分たちが医療をどういう形で提供しているかを主に話す形になっている。
2015年から2016年にかけても同様だが、一部違うのは医療的ケアの研修会やリハケア勉強会など、医療者向け、患者さんの家族向け、
介護施設に出向いての出前講座などを増やしている。そうやって顔と顔が見える連携が進むと、市内のあの医療機関でお願いしようとなったり、
患者さんも安心して家に帰れることにつながると思うので、これも広報の一環ではないかと思っている。
広報活動と地域包括ケア実現というのは非常にリンクしている。自助・互助・共助・公助、そして地域住民が抱えるヘルスケアの課題ということで、
青年期から中年期、壮年期にとっても問題で、高齢者だけではなく、地域の住民の方はいろいろなヘルスケアの課題を抱えている。
実際には心・体・生活とあり、全てを網羅することは難しいが、自分たちがどんなことで市民の方々のお手伝いできるかということは、
いつも意識している。
地域包括ケアにおけるHITO病院の取り組み30事業ということで若い方から高齢者の方を含め、介護予防事業を市から一部委託されているもの以外は、
全て無料で行っている。ここにどんな意味があるかというと、やるとやらないとで明らかに違うのは、こういうことをどこに行けば相談できるのかとか、
認知症になったけれどどこに行けば相談できるのかなど、住民の方が困っていることの声を聞くことで、
こちらも多々取り組めることが増えるということである。やはりスタッフが地域に出ていくことは重要なことだと思っている。
自助の例を挙げたい。市民向けの講演会はどこでもされていると思う。私は1回始めたことは、基本的に、
大体2年くらいしたら意味のある広報活動なのかどうか必ず総括をする。患者さんが増えていないのに広報活動ばかりしても仕方がないので、
効果がなければ手の内を変えないといけない。
市民向け講演会は今まで5000人くらいの方に来ていただいている。婦人科を開設するので、婦人科の講演会をした場合は、
新規の患者さんがどのくらい増えたかを、必ずあとからモニターしなければならないと思っている。広報の活動はたくさんのことを一度にやらないと、
単発でやってもなかなか意味がない。いろいろな媒体を使って必要なことを、必要な時期に、タイムリーに発信することが重要だと思う。
市から委託されている介護予防事業は石川ヘルスケアグループが委託されている。介護予防、認知症予防の教室を行い、
5000人近い方に参加していただくなど、いろいろな活動をさせてもらっている。力を入れているのは在宅で家族が介護をしている方向けのものや、
介護を予防するための講演会であったり、医療従事者向けのものであったり様々である。
実際の介護職の方はどうしても遠くに出張することが難しいと聞いているので、地域の病院の中で開催することでいろいろな声をいただいたり、
実際の褥瘡処置やたん吸引、ポジショニングなどを話しながら一緒にできるので重要だと思っている。
開業医の先生方との勉強会もある。リハビリや介護のレベルを上げていく取り組みがなぜ重要かというと、
自分たちの病院だけで抱えていても仕方がないので、
実際に市内でどうやって患者さんの医療や介護連携を支えて行くかという地域全体で支える仕組み作りが必要だと考えるため、
このような提供をしている。
まとめになるが、私が考える医療機能の向上、退院支援、在宅、地域連携には、人材育成が一緒についてくる問題だと思っている。
そこに、ホスピタリティや、事務職の育成などに加え、地域包括ケアシステムの実現のための広報活動というのが非常に重要だと考えている。
地域全体で支える仕組み作りのためには、自分のグループだけではなく、市民の方にまず興味をもってもらう。
自分たちが歳を取った時にどう死にたいのか、どんなふうに歳を取っていきたいのかということを一緒に考えることが重要だと思っている。
それはおそらく、市ごとで違うものかもしれない。そういった声を聞く機会が少しでもあれば、よりよい最期であったり、
よりよい歳の取り方ができると思っている。まだまだ道半ばなので、これがうまくいくかどうかは今後また継続して頑張る中で見ていきたい。
HITOプラン2016、今年の私たちの取り組みとして、ヘルスケアグループで共有しているものである。
今年、ゆるキャラグランプリが愛媛県松山市で開催される。
「しこちゅ~」というネズミが四国中央市のゆるキャラで、「みきゃん」(愛媛県のゆるキャラ)は去年2位であった。
地域との協働ということでこういったことを目指している。
悩むことばかりでなかなかうまくいかないことが多いが、私も地域包括ケア病棟協会の会員として携わり、
すごく元気をいただいている。これからも地域包括ケア病棟が皆さま方の地域でうまく活用できるよう少しでもお手伝いしていきたいと思っている。
〇座長
圧倒された。短い1時間であった。
私から質問したい。四国中央市には、四国中央病院もある。私が感じたのはHITO病院が何を目指しているかというと、
地域急性期のセンターということだと思う。総合病院化している。総合病院はあらゆる診療科があることから総合病院と言っていると思うが、
私はそれは「横の総合病院」で、高度急性期から在宅までやるのは、「縦の総合病院」だと思っている。HITO病院はそこをやっている。
地域の一番店を目指すとなると、例えば四国中央病院との連携や協働が考えられるが、その点はどう思っているのか。
〇石川
地域医療再生計画の時に、四国中央市に中核病院を二つ作るというのがそもそもの計画となっている。
その中で自分たちが強みとして目指していく疾患の住み分けをした。私どもが心臓と脳でなら、四国中央病院は周産期・小児ということである。
しかしなかなかバッシリ切れるものではないので、二つの病院で四国中央市を支えていこうということで今に至っている。
〇座長
3、4年前に森本忠興名誉院長が院長をしていた時、四国中央病院を見てくれといって、お邪魔したことがある。
現在の感じと4年前に見た感じから言うと、もうHITO病院が抜いてしまって、四国中央市の唯一の地域中央病院になる日が近いのではないか。
ぜひ先生にこの熱気をあと30年続けてもらい頑張っていただきたいと思っている。感謝申し上げる。
(了)
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