地域包括ケア病棟協会

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  • 【シンポジウム1】第8回研究大会

【シンポジウム1】第8回研究大会

 

    【シンポジウム1】

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

    「地域密着&ポストアキュートの好事例病院」

    【座長】
    高橋 泰(国際医療福祉大学大学院 教授)

    【シンポジスト】
    武久 敬洋(平成医療福祉グループ 代表)
    井野口 真吾(社会医療法人千秋会 井野口病院 理事長)
    志田 知之(医療法人天心堂 志田病院 理事長)
    江角 悠太(国民健康保険志摩市民病院 院長)

    【討論】

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

    【座長】

    高橋 泰(国際医療福祉大学大学院 教授)

    • 高橋泰先生1
    • 高橋泰先生2

     皆さん、こんにちは。国際医療福祉大学の高橋と申します。

     今回、若手の経営者が集まって、久しぶりにリアルでこういう会の座長をやらせてもらうのをとても楽しみにしておりました。

     特に今回は地ケアの話です。地域包括ケア病棟の起源のお話からさせていただいて、早速シンポジウムに入ろうと思います。

     もともとは、2002年改定に向けて、2001年の秋口に全日病さんのあるべき委員会で、生活を支援する地域に密着した病棟が必要だという話があって、亜急性病棟ができそうだという話が入ってきたことから始まります。データを集めて何とか頑張らないといけないということで、安藤先生とか猪口雄二先生とかが集まって、何とかして厚生労働省を口説かないといけないよねというのがこの病棟の始まりです。

     ちょうどそのときに、湖山医療福祉グループの湖山さんの結婚式が、700名の大結婚式がありました。調査しないといけない対象者がほとんど結婚式に出ておられたので、安藤高夫先生と私が、こんな調査をしたいというお願いの紙を持って結婚式会場を走り回って調査協力の依頼を行い、承諾をいただいた施設からデータを集め、それを集計して作成したデータを厚労省に持っていったのがきっかけで2002年の診療報酬改定で亜急性病棟が生まれ、その後、いろんな人の提言があって地域包括ケアが進み、まさに高齢化社会に向けた生活支援型の病棟が必要であるということで亜急性病棟の発展形として地ケア病棟ができていったという経緯があります。

     今回は、この地ケア病棟をお持ちの若手の経営者がそれぞれ、そこも含めてどういう経営を今しているか、今後していくかということを話していただき、聴衆の皆さんの経営、地ケアも含めて今後病棟をどういうふうにし、病院の戦略をどういう方向に進めていくかということの参考になる事例報告になればと期待しております。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

    【講演 1 】

    地域密着&ポストアキュートの好事例病院

    武久 敬洋(平成医療福祉グループ 代表)

    • 武久敬洋先生1
    • 武久敬洋先生2

     御紹介いただきました武久と申します。

     昨年度まで世田谷記念病院で院長をさせていただいておりました。今年度は平成医療福祉グループ全体の代表として働いております。

     世田谷記念病院というのは約12年前にできた病院ですが、設立当初から地域包括ケア病棟のようなものを、制度ができる前からやっていたというのが、恐らくこの中でとか、全国的に見ても珍しいケースかなと思っています。そのあたりも含めてお話しできればと思います。

     世田谷記念病院は、東京世田谷区の二子玉川というエリアにありまして、東京の中では、医療圏としては区西南部という、目黒区、世田谷区、渋谷区という医療圏に属しています。自然の少ない東京の中で、多摩川が流れていますので比較的緑が多いエリアで、大きな高層ビルもありまして、東急の開発でかなり人気のエリアになっています。世田谷区立二子玉川公園というのがあって、公園の中の小高い丘の上にはスターバックスがあったりして、おしゃれスポットとしても結構人気なところです。我々の病院も、外出リハとしてそういう公園を使ったりということをよくしています。そういうところにある病院です。

     経緯としましては、2012年4月に、病床数200床、全室個室でオープンしています。開設当初から、ポストアキュート及びサブアキュートを専門的に取り組む日本版LTACを目指して開設しています。

     その背景としては、区西南部という東京の中心地ということもあって、大学病院を含む高度急性期病院がかなり多数ある。大学病院だけではなく、日赤とかいろんな高度急性期病院が多数ある。その代わりに、慢性期病院とか回復期病院というのが著しく足りていないエリアでした。そういうところに開設ということで、そのエリアの問題を少しでも解決しようということでやっています。

     当時、脳卒中の方で我々のところに転院してくるまでの急性期側の在院日数としては、1か月を優に超えて、2か月ぐらいでやってくるというのが普通でした。残念ながら、現在もその状況は大きくは変わっていませんが、急性期側の在院日数を少しでも短くして、多くの患者を診られるようにする。我々がポストアキュート、サブアキュートをしっかりやることで、この区域全体、東京都全体の医療の質の改善に貢献できるだろうと考えております。

     病棟の構成として、当初、2階、3階、4階、5階とありまして、2フロアが回復期病棟、残りの2フロアが医療療養病棟ということでやっていましたが、療養病棟の一つを、LTACの直訳、長期急性期病棟として運営を始めました。

     これは、開設当時、外へ営業に行くときとか、病院の説明をするときに持っていったスライドの一つです。

     2つのタイプの療養病床として、長期急性期病床はどんな患者を受け入れるかというと、急性期治療を終えた患者さんを早期、1週間か2週間ぐらいで受け入れたい。積極的な治療とリハビリによって早期退院を目指します。在宅療養、施設入院患者さんの状態悪化時の後方支援病床としての役割を果たす。看護配置は13対1でやる。目標の平均在院日数は2か月としています。もう1つの、いわゆる通常の療養病床に関しては、長期慢性期病床という名をつけてやっていました。こちらに関しては、基本的には積極的な治療とリハビリをやるタイプの療養病床だと思っていただいていいかと思います。看護配置は15対1を目指して配置していました。

     そのような病棟をやっていましたので、2014年4月、地ケアが始まってから早速、すんなりと地ケア1が取れたという状況です。

     それなりに順調にやっていましたが、2019年10月の台風19号で、さっきはすばらしい自然と言っていましたけれども、自然が牙をむいて多摩川が増水し、内水氾濫といわれる氾濫によって1階部分が浸水するという状況に見舞われました。これによって、エレベーターが動かないとか、厨房機能が完全にストップしてしまった。電源も不安定な状況で患者さんを入れ続けておくのは、何かあってからでは遅いということで、翌日、水が引いてから、全ての患者さんを移動しています。

     それがある程度落ち着いてから、万が一また同じようなことが起こっても何とかなるようにということで、1階から重要な機能を全て外して2階へ持っていきました。もともと地下にあった厨房を1階へ持っていって、1階にあった外来とか検査系の機能を全部2階へ持っていって、職員食堂だけ置いておる形にした。その分、1病棟減らして146床になりました。それに伴って医療療養病棟がなくなったことになります。

     現在の世田谷記念病院の機能です。3・4・5階が病棟で、回復期病棟が2つ、1つが地域包括ケア病棟になります。

     救急機能としては、在宅救急の機能を担っています。救急告示はしていないですが、グループの特養が川を越えた神奈川県側にかなりの数あるということとか、この近隣にも有料老人ホーム等がかなりたくさんありますので、そこでの患者さんの受入れを積極的に行っています。

     訪問診療に関しては、訪問診療部の立上げをして、病院から積極的に訪問診療を行っています。訪問リハに関してもそのようにやっています。

     当院の地域包括ケア病棟の特徴としては、リハの提供患者割合はずっと100%でやっています。リハの提供単位、平均3単位以上というのをほぼほぼキープしてやっています。地ケアのリハの件に関しては、リハビリが必要な患者に平均2単位以上という制度がありまして、そこはいかようにも解釈できるんですが、我々としては、地ケアに入る患者さんでリハビリが必要ない人は一人もいないという考えのもとにやっています。

     地ケア協会がおっしゃっている、補完代替リハ(CARB)というものは当然やっていますし、離床の徹底というのをグループ全体としてかなり力を入れてやっています。

     離床について簡単にお話しします。

     我々、8時間寝るとして、残りの16時間は離床、ベッドから離れて生活している。仕事をしたりいろんなことをしているんですが、それでも体力、ADLはただ維持するだけです。一旦入院して安静状態にされると離床時間がゼロに近づく。そういう状況になると廃用症候群になってADLが低下する。我々、在宅復帰を目指している病院ですので、それだけはさせないということで、離床にかなり力を入れて、地域包括ケア病棟でも6時間から8時間、世田谷記念病院以外ではもっと多いところもありますが、これをもっと増やしていって、まずは10時間を超えようかなと思っています。

     あと、在宅支援看護師というのを配置しています。多くの場合、後方支援とか退院調整というのはソーシャルワーカーがやると思うんですが、ソーシャルワーカーとともに退院支援に関わる看護師を各病棟に配置してやっています。地域包括ケア病棟にも1人から2人、退院の調整をやる看護師として配置しています。

     診療所との連携、地域連携の状況です。

     機能強化型在支病として、4つの在支診と連携して取組をしています。そのほかの地域の診療所40か所とも書面で連携を結んでいます。

     あとは、在宅機能を充実させています。在宅診療部に専従の医師がおりまして、患者さんを約80人持っている。一般的な在宅のクリニックのような機能ではなく、主に当院を退院した後の患者さんに関わっているので、地域から直接紹介というのはそれほど多くない状態です。

     あとは、みなし訪問リハがあるのと、サテライトで、少し離れたところで訪問看護と訪問リハをしています。

     この新しい基準で、当院がどんな状況かというのを簡単にまとめました。

     リハの専門職としては、PT7、OT2、ST2が病棟配置されています。平均単位は3.1単位。当院の地域包括ケア病棟は、療養病床ベースでやっています。救急告示はありません。病床数146、部屋の面積9.5平米です。現在、重症患者割合としては37%。あと、自宅等から入院した患者割合は62%、緊急患者受入れは年間55件ということで、9人以上は超えている。在宅復帰率は80%。

     100分の95の減算の件に関しては、救急告示はありませんが、自宅等から入棟した患者の割合が6割以上ということでクリアして、減算はされていません。

     在宅医療等の実績の6つの条件に関しては、①と④と⑤を満たしています。①に関しては、訪問診療をやっている、②は、訪問看護をみなしでも若干やっているんですが、今はほぼほぼサテライトでやっていますので、ちょっと離れているので取れない。いざこれが厳しくなったら、みなしに戻すこともできると言えばできるんですが、それよりは在宅患者を増やすという意味で、みなしでもスタートしようかなという形で考えています。④、⑤は、訪問リハビリをしっかりやっているので取れていますということです。

     入院元、紹介元に関してが、この表とグラフになっています。

     現在は、病院からの入院、ポストアキュートが35%、特養、有料、自宅と書いてありますが、訪問診療系のクリニックが中心となっています。今はポストアキュートは35%ですが、当初はこれが完全に逆転しているぐらい、ポストアキュートが中心でした。特養、有料老人ホームの割合が高くなってきて、現在は診療所からの紹介がかなり増えてきている状況になっています。作為的に何かをしたわけではなく、地域のニーズに応えていたらそんな感じになったという印象です。

     退院先はこんな感じで、一般的なところかなと思います。

     緊急入院は、多くは特養、老健、あとは在宅系施設からの緊急受入れ、またはクリニックから在宅患者さんの急性増悪等で紹介になった患者さんが多い感じです。

     最後に、ポストコロナの受入れに関して1枚だけスライドを入れています。

     世田谷記念病院、普通にやるべきこととして、当初から、急性期のコロナ患者さんをいきなり受けることはさすがに難しいなと思っていました。これはどんな病院もそうだと思うんですが、コロナの感染予防とか、もし感染者が出たときの感染拡大を防ぐ仕組みは院内にあるわけですから、ポストコロナを受け入れるというのは大して難しいことではないと考えておりまして、ポストコロナに関してはずーっと受入れをしています。何だかんだで、都内の回復期ではポストコロナを全然受け入れていないという状況があるようで、都内で受入れをかなり多くしている病院だとおっしゃっていただくことが多いです。

     ただ、第7波に関しては、まだまだ全然来ていなくて、先ほど冒頭で言いましたように急性期が多くて、在院日数が長いことに慣れているというのは、実はコロナにもありそうです。

     今後の計画としては、計画といえるほどのものではないですけれども、現在も常に、診療の質を高めるためにあらゆる努力をしているという状況で、そこに関してさらに手を入れていく。今も在宅機能はまあまああるんですけれども、それをさらに倍増させるような取組をしていきたい。地ケアの在院日数に関してもさらに短縮して、さらに地域の患者さんの受入れの数をつくれるように。在院日数を短くするということは、さらに診療の質を向上させないとできないので、両方をやっていきたいと思っています。

     地域連携に関しては、当院、コロナの影響もあってオンライン連携会議というのをかなり積極的にやっていまして、これが意外とすごく効果がある。なぜかこのオンラインの連携会議になると、ふだんは訪問してもほとんど相手にしてくれない結構忙しいドクターも、オンラインの研修会とか学会のような錯覚をするのかわからないですけれども、ずっとすごく真剣に聞いてくれるというのがあります。これがかなり効果を現わしています。

     あとは、世田谷記念病院は近隣に居住系の関連施設を持っていないので、その辺に関してあると、いろいろと融通が利いてクオリティが上がっていくかなと思っていますので、そちらに関してちょっと検討したいなとは思っています。

     世田谷記念病院としての発表は、これで終わりにさせていただきます。

     ありがとうございます。

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    【講演 2 】

    当院における地域包括ケアシステムへの参入と地域包括ケア病棟の役割

    井野口 真吾(社会医療法人千秋会 井野口病院 理事長)

    • 井野口先生1
    • 井野口先生2

     社会医療法人千秋会の井野口と申します。本日はよろしくお願いします。

     当法人はケアミックス病院を運営している法人で、介護にはむしろ手を出さないという姿勢でやってきましたが、ここ数年、退院後も住み慣れた町で安心して暮らしていけるようにと、在宅・介護分野にも運営の幅を広げてきました。ポストアキュートだけでなく、サブアキュートの患者さんの受入れを増やしている、決して好事例ではないですが、一事例として発表させていただこうと思っております。よろしくお願いします。

     当院のあります東広島市は、広島県のほぼ中央、広島市の東隣にございます。灘、伏見、西条と言われる、三大酒どころの一つで、百円ショップダイソーの本社があります。人口増加地域で、2025年まで伸び続け、以後、維持、微減していくという予想がされているところです。

     また、県内一高齢化率が低いところです。その理由として、大学生が人口の約1割。外国人も増加しており、人口の4%が外国人となっております。したがって、人口ピラミッドでは20代のところが突出している感じです。2045年に向けて、今後も20代は入れ替わり変わらないですが、もともと住まれている地域の方々は高齢化していくという予想になっております。

     医療介護の需要予測度も全国平均よりかなり高く、特に介護需要の急激な伸びが予測され、今後ニーズに応えられない可能性があって、整備が必要だということが考えられます。

     当院についてですが、昭和52年、外科病院として42床で開院し、平成4年に新築移転し188床になりました。健診センターも併設しております。地域の二次救急病院として、救急車の受入れもしております。

     「元気はつらつあたたかい病院をめざして」という、理念ですが、我々医療人が元気で、また、あたたかい心を持っていないと、病んでいる人を癒すことができないよね。まず我々が元気を出していこう、ホスピタリティある対応をしていこうということをめざしています。

     当院のめざす病院として、「(患者・家族・地域に)信頼される病院」「一人ひとりが成長でき、働きがいのある病院」「地域№1の“チーム医療”をめざす病院」「東広島地区の元気づくりを応援する病院」と、4つ挙げており、「医療活動を通じて地域を元気にしていこう」ということを目標にしています。

     その4つのめざすべき病院像に対していろいろな課題を抽出し、取り組むべき施策を考え、中長期計画や年次事業計画に落とし込んでいます。

     私が理事長になったのが2013年ですが、その頃の中長期計画は、回復期リハビリ病棟をつくって、リハビリ棟も建築し、地域のリハビリをリードしていこう。病棟機能を変えてスーパーケアミックスをめざしていこう。介護事業への新規参入もしていこうということを計画にあげていました。

     10年前の病棟編成は3つの10対1のDPC一般病棟と、医療療養病棟と亜急性期病床15床という構成でした。回復期リハ病棟を2013年5月につくり、6か月の実績を踏まえて入院料1に変更しました。看護師を一般病棟に集めたことで、7対1の入院基本料1が一般病棟で取れるようになりました。2014年、地ケア病棟ができた年の9月に、入院管理料1で地ケア病床を20床で開設しました。2年後には病棟単位の入院料1に変更しております。病棟再編を繰り返し、4つの病棟が全て機能の違う病棟構成となりました。

     地域包括ケア病棟は、2018年改定で、在宅への取組をしないと入院料2になってしまう改定が行われたのですが、病院からの訪問リハを再開し、訪問診療を新たに実施することで、2020年3月に入院料1を届け出ることができました。

     病期病態に応じた病棟編成にして、手厚い人員配置。看護師だけでなく、セラピストや薬剤師、ソーシャルワーカー、管理栄養士などを病棟に専従配置して、また、患者さんごとのベッドコントロールを毎営業日に実施し、効率的に運営していくことを、当院ではスーパーケアミックスと呼んでおります。

     退院後の在宅生活を支援するため、知人の鉄工所を借りましてリノベーションをかけて、訪問看護ステーションと、居宅介護支援事業所を併設でつくりました。

     病院の裏にはたくさんの田んぼがあり、そこを借りて体育館のようなリハビリテーションセンター、リハビリ棟を2018年9月に完成させました。700平米の大きなリハビリスペース、日常生活訓練室や個室でのリハビリ室などを設けております。屋外もリハビリスペースとして活用しており、リハビリ庭園や陸上トラックの床材を使った歩行訓練スペース、手すりを両サイドに設けたリハビリ階段なども作りました。

     外来リハを医療保険から介護保険へ転換していかないといけないということで、2016年に通所リハビリを始めていたんですが、リハビリ棟ができて、「短時間通所リハビリ」として確立しました。

     セラピストによる個別訓練や自主トレーニング、集団活動など、1回70分の4回転、送迎もつけて週5日営業しています。

     リハビリの充実に伴って、セラピストがどんどん増え、圏域では一番の人数になりました。

     次期、2019年からの中長期計画ですが、ビジョンを「地域多機能法人として地域包括ケアの推進、まちづくりに貢献」としました。重点項目としても、地域包括ケアやまちづくりを進めていこうとして、「ときどき入院、ほぼ在宅」の実践をしていこうと掲げました。

     通所リハビリが定員いっぱいになってきて、1日4回転というちょっと慌ただしい感じだった。利用者からもっとゆっくりしたリハビリを実施したい、お風呂にも入りたい、食事もしたいというニーズがありましたので、隣町の駅前でドラッグストア跡地を借りてフルリノベーションし、昨年11月にリハビリ特化型のデイサービス「井野口在宅リハビリテーションセンター」というものをつくりました。もともとあった塔屋には「リハビリ デイサービス」と大きく書き、何をやっている施設かがわかってもらえるようにいたしました。

     多くの先行したデイサービスがある中、後発で参入したものですから、キャッチコピーを「本気のリハビリデイサービス作りました」としました。レッドコードやマシンの導入、入浴もリハビリですよ、自宅で入れるようになってぜひ自宅で入ってくださいと、家庭サイズの浴槽での入浴サービスもしています。1日のコースが30人と、半日15人のコースが午前と午後の2回転、1日60人を週6日、祝日も営業しております。

     こだわりの食事の提供も差別化のひとつで、市内の飲食店の方に厨房に入っていただき、地産地消の旬な食材を利用し、また、管理栄養士が監修したメニューを提供しております。最近始めたお持ち帰り弁当の販売も好評いただいております。

     そのデイサービスをつくっている頃に、市から、地域包括支援センターを今までの市の直営から委託型にするので公募型プロポーザルを実施しますという案内が届きました。地域包括支援センターの役割を考えていくと、うちにとって非常にいい事業じゃないかなと思い、手を挙げることとしました。競合の末、見事選定されまして、理学療法室があった元トレーニングルームの一角を地域包括支援センターに充てております。

     短い準備期間でしたが、このようにたくさんの資格を持った、経験豊かなスタッフが集まってくれて、今年の4月オープンすることができました。

     元トレーニングルームが広かったので、その隣に「地域交流スペース、motore」というものをつくり、高齢者の通いの場として、ケアマネなど医療職、介護職の交流の場として使っています。

     デイサービスは隣町の駅前にあるのですが、すぐ近くに土地を確保しており、そこに2ユニットの認知症グループホームをつくる予定です。隣も駐車場として借りることができ、来年4月オープン予定です。今後、デイサービスと相乗効果を発揮し、駅前の活性化に参画していきたい思います。

     病院単体から、退院後のフォローというところから始めた介護事業ですが、様々なメニューが加わっていきまして、今では地域包括ケアシステムの絵が描けるほどになってきています。

     たくさんの事業をやられている法人さんから見たら、まだまだな感じかもしれませんが、今まで病院だけでしたので、急ピッチで展開してきたので、大変だったなと振り返って思っております。

     介護事業を始めてから7年間、また、訪問看護ステーションができて5年間の売上げになるんですが、徐々に上がってきています。

     職員数の推移です。2013年から増え始め、当時の1.7倍ぐらいになっており、来年には500人を超えていきそうです。

     ここからは当院のデータを紹介します。全病棟の入院患者のうち、4割が一般外来・救急外来を通じて入ってきます。3割が紹介入院で、3割が救急搬送入院です。救急搬送も、年間800件ぐらいだったのを、1,000件をめざしていこうよと目標を掲げ、昨年ぐらいから徐々に増え始め、今は1,100件を超えるようになりました。市内のシェアでいえば、2番目に多い救急搬送受入件数になってます。

     地ケア病棟に直接入ってくるのは全体の15%程度です。一般病棟に入ってくる患者の45%は直接退院するんですが、約40%が地ケア病棟に転院してくるというデータです。

     地ケア病棟に入棟する患者の3分の2が自院の一般病棟から入ってきまして、自宅からが25%、他医療機関等が7%となっていて、うち4割が緊急の入院となっています。

     自宅からの入棟割合が徐々に増えていっているのがわかるかなと思います。

     これはサブアキュートの入院患者の疾患別統計ですが、これを見ると、在宅に取り組んだことの効果というのはまだ見えていないのかなと思われます。

     逆に、ポストアキュートで、心不全とか誤嚥性肺炎とかいうところの高齢者特有の疾患が一般病棟を経由して入ってきているのがわかりました。

     一般病棟から地ケアへの転棟タイミングですが、入院期間Ⅱまでが3分の2になり、ベッドコントロールに力を入れることで効率性係数は偏差値66.6と大きく上がりました。また、救急に力を入れることで救急医療係数も上がりました。

     地ケア病棟の単価ですが、年々上がっております。特に、入院料1を届け出てからは3万7,000円前後となっており、コロナで収入が落ちている中、大変助かったというか、よかったなと思っているところです。

     平均在日数については各病棟減っておりまして、地ケア病棟は21日程度になっております。

     稼働率が、コロナの影響もあって安定していないですが、地域包括ケア病棟は80から90%の稼働となっております。

     今年の春の診療報酬改定で基準がいろいろ変わりましたが、地ケア病棟についても、特に問題となる指標はありませんでした。リハ提供単位がもともと3.8とか非常に高かった、高過ぎたところがあるのですが、セラピストを病棟からデイサービス等に移動したりして、また、POCリハとかいうことに取り組むことで、2単位をちょっと超えたところで落ち着いてきております。

     まとめです。

     救急、リハビリの充実を図り、スーパーケアミックスを実践してきました。ベッドコントロールを充実させることで、ポストアキュート患者を早期に地ケア病棟で受け入れることで効率性係数がアップしてきました。稼働にはまだ課題があります。

     病院単独事業から、通所型、訪問型の介護サービスを新設・拡張して、地域包括ケアシステムの確立を目指してきました。自宅等からの直接入棟は増加傾向にあるんですが、効果はこれからかなと思っております。

     診療報酬改定は無風でした。求められている「地域包括ケア時代の中小病院」に近づきつつあるのかなと実感しております。

     今後、さらに地域密着型経営を進めて、住み慣れた東広島で皆さんが安心して暮らすことができるように、リーダーシップを発揮していきたいと考えております。

     御清聴、ありがとうございました。

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    【講演 3 】

    地域に愛され必要とされる地域包括ケア病院を目指して

    志田 知之(医療法人天心堂 志田病院 理事長)

    • 志田知之先生1
    • 志田知之先生2

     皆さん、こんにちは。医療法人天心堂志田病院理事長の志田と申します。

     本日は、このような機会を与えていただきまして、仲井会長、田中大会長、誠にありがとうございました。

     私、四捨五入するともう還暦で、若手でもありませんし、当院は好事例でもないのに、このような発表をさせていただきまして大変恐縮しております。地域包括ケア病棟・病床を持つ病院には当院のような病院もあるということをこの場で皆さんに知ってもらえればと思いまして、お話ししたいと思います。

     私は、「地域に愛され必要とされる地域包括ケア病院を目指して」というタイトルで、今回の大会のテーマに沿ったお話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

     私は自分の病院で、当院のことを地域包括ケア病院と職員に話して、「The」をつけて、The地域包括ケア病院を目指そうということを常々お話ししてきております。

     これは、協会が示されております、地域包括ケア病棟を有する病院の型を表したスライドです。この中の地域包括ケア病院は全病棟病室が地域包括ケア病棟という形態分類ですが、これとは異なるものです。

     こちらの地域包括ケアシステムの図で御説明したほうがいいと思いますけれども、医療、介護はもとより、住まい、生活支援、介護予防に至るまで、地域包括ケアシステムに関わる全ての要素に積極的に対応していこう、関わっていこうというつもりで、地域包括ケア病院という呼び方をしております。

     当院があります佐賀県鹿島市についてお話ししたいと思います。

     佐賀県の南部にありまして、人口は現在2万7,000人程度。一番ピークだった頃は4万人程度おりましたので、現在は3分の2ぐらいまで人口が縮小してきていることになります。高齢化率は32.8%です。米づくりとか、ミカン、ノリという第一次産業が盛んなところで、あと、先ほど井野口先生もお酒の話をされていましたけれども、浜地区というところは酒づくりが非常に盛んなところで、全国的にも結構有名なブランドもあるところになります。

     当院の歴史と病床数の変遷につきまして説明したいと思います。

     当院は1925年(大正14年)に創業しておりまして、3年後の2025年には100周年を迎えます。その後、1937年に病院になりまして、ずっと46床という病床数で運営してきました。私は1996年に理事長として戻ったんですけれども、そのときも46床で、2000年に、療養型病床群の46床の病院として建て替えたという経緯があります。2003年に2床だけ増床させていただきまして、その後ずっと48という病床数、非常に少ない病床で病院を運営してきました。

     現在、80床に増床できたんですけれども、そのあたりの経緯につきまして次に御説明したいと思います。

     当院の敷地の北に空き地があったんですが、2016年当時、そこの土地を市から当院に売却するという提案がありました。隣接地ですので是非手に入れて利用しようという方針にしておりました。病床過剰地域で増床はできないので、有料老人ホームを病院に連結する形で建てて、病床の代わりのように利用するという構想を立てて、設計も含めてかなりのところまで準備を進めていました。

     そのとき、当院の100mぐらい北側にあります44床の療養の病院が閉院を決められたということを風のうわさで聞きまして、これは一体どうなるんだろうかと。この病院をどこかが買われたりとかいうことがあるのかなと戦々恐々と見守っておりましたけれども、少し期間を置いて当院に事業譲渡の話がございまして、交渉の結果、まとまりました。

     2017年の地域医療構想調整会議で2回にわたってプレゼンテーションをしまして、どういう病床利用の計画であるのかということを説明して了解を得まして、当院が増築をして増床する方針になりました。

     オリンピックとかの影響で工事がちょっと遅れたんですけれども、2019年6月に竣工しまして、めでたく80床に増床することができました。

     これは、当院が位置します佐賀県南部医療圏の人口と病床の分布を示しております。

     南部医療圏全体では14.5万人程度になるんですけれども、鹿島市周囲、当院の実質的なマーケティングエリアとしては5.5万人ぐらいの人口になります。

     見ていただくとわかられると思いますけれども、この地域は2桁病床数の小さな民間病院がたくさんあるところでして、当院規模の病院もたくさんございます。地域包括ケアは全て病床単位でありまして、病棟で持っているところはありません。みんな入院管理料算定です。

     武雄市に77床の病院があって、そこが地域包括ケア30床ですけれども、ここは整形外科単科の病院で、実質回リハ的な使い方をされていまして、この地域では、当院が一番たくさんの地域包括ケアを持っています。さらに言いますと、療養病床で地ケアを持っているところは当院だけという地域になります。

     現在の当院の病床構成です。

     回復期リハ、3で今算定しておりますけれども、32床と、医療管理料1を算定している地域包括ケア28床と、入院病棟入院基本料1を算定している20床、合わせて48床の2病棟の体制となっています。

     回リハも結構いいパフォーマンスを出しているんですけれども、ナースの人員不足で、今は3を算定している状況です。これはできるだけ早く1に上げたいと思っております。

     当院の併設施設です。図にありますように、グループホーム、小規模多機能ホーム、デイケア・デイサービス、居宅介護支援事業所等、全ての事業所を病院の隣接地に配置している状況です。

     現在の職員数です。回リハも持っていますので、セラピストの人数はトータルで44名と割と多くなっているのと、ソーシャルワーカーとかシステムエンジニアといった職種が結構多くいるのが特徴かと思います。

     次に、地域包括ケア病床開設の経緯について御説明いたします。

     2014年の診療報酬改定において、地域包括ケア病棟入院料と入院管理料が新設されました。回復期リハビリテーション病棟に続いて、療養病床からの移行も可能となっており、しかも、病床単位での移行も可能ということで、これはすぐに取り組むべきものということで、すぐにプロジェクトを発足しております。

     当院の場合、まず、当該病棟の看護配置を13対1に上げることが第1番目の課題でした。もう1つはデータ提出加算の対応です。この2つにすぐに取り組みまして、2015年1月に8床を地域包括ケア病床に移行しております。その後、2016年4月に12床まで増床しまして、さらに病院増築・増床後の2019年6月からは28床で運営しております。

     当院の診療状況について御説明いたします。

     外来受診者数です。これはやはり右肩下がりになってきております。この原因としましては、1つはコロナの影響もありますけれども、近年、長期処方の患者さんが非常に増えていまして、そのことが一番大きな原因になっているかなと思います。あと、小児の外来受診数が近年減ってきていまして、そのあたりでトータルとしての外来受診者は減っています。今も月2,000人ぐらいの受診者がありますので、病院の規模としては多いほうだと思っております。

     外来患者の年齢構成ですけれども、定期の受診者につきましては、70歳以上の方が6割強になりまして、90代、100代という方も外来に通院されている地域になります。全受診者の年齢構成としましては、10歳未満、10代の小児もまあまあたくさんおられますけれども、やはり高齢者が多い地域ということになります。

     当院はかねてから訪問診療に積極的に取り組んでおりまして、2010年から在宅療養支援病院になっています。グラフにありますように、在宅時あるいは施設入居時の医学総合管理料を60件ぐらい算定しておりまして、平日午後は、ほぼ毎日訪問診療に出かけております。

     ここから入院の話で、新規入院患者数です。当然のことながら、増床しました後は入院患者数がトータルで増えております。

     実数で見たほうがわかりやすいかと思います。赤で囲んだところが地域包括ケアになりますけれども、増床後、2019年度以降は280人ほどの新規入院がある状況です。

     次に、地域包括ケア病床の入院種別です。

     2018年に札幌で第4回の地域包括ケア病棟研究大会がありまして、そのときも発表させていただきました。その頃のデータを見返してみましたけれども、構成はほぼ同じでした。サブアキュートは7割程度です。ポストアキュート、その他が3割程度ということになっています。

     ポストアキュートの中身としましては、7割が回リハ対象外のリハビリテーション目的の入院で、当院は緩和ケアとかレスパイト等の入院も結構積極的に受けていまして、そういった方が3割という構成になっていました。

     次に、地域包括ケア病床の入院元と退院先。

     自宅も含めますけれども、在宅からの入院が72%程度占めています。さらに退院先も、いわゆる在宅への退院が7割程度となっています。サブアキュートの入院においては9割近い在宅復帰率を上げておりまして、ポストアキュートだけで見ても7割程度の在宅復帰率を上げることができております。

     今年4月の診療報酬改定におきましては、地域包括ケア病棟において大変大きな改定がなされました。特に、当院のような療養病床から地ケアを取っている病院にとりましてはかなりショッキングな内容を含むものでありました。

     スライドに示していますように、医療法上の病床種別に係る評価の見直しということで、療養病床である場合には所定点数の100分の95を算定することになりました。それを回避する条件として①から③が示されています。③の救急告示につきましてはここでは詳しくは述べませんけれども、当院のような立ち位置の病院にはかなりハードルが高いと申しましょうか、すぐには対応が難しいということで、①自宅等からの入院患者の受入れが6割以上、あるいは②自宅等からの緊急入院の受入れ実績が3か月で30人以上、このどちらかを満たさないといけないということになります。

     当院の実績です。

     入院元割合につきましては、下の青と緑のところを合わせますと大体7割で経過しています。緊急入院数につきましても、増床後、年間150件以上の緊急入院を受け入れている状況です。3か月ごとで見てみましても、30人は大体超えている状況です。

     ここからは、そのほかの、入院料、入院管理料の算定に関係するデータを出しております。在宅復帰率も8割程度が維持できています。

     重症者割合も、今回の改定で、重症度、医療・看護必要度の算定基準が変わりましたけれども、新しい基準で見ましても12%以上は常にクリアできている状況です。

     次に、今回の改定で増点となりました支援病床初期加算の算定状況です。当院は在宅からの入院が多いため、緑色の在宅患者支援病床初期加算の算定が増加傾向にあります。今後はこの加算を多く取っていくことを一つの活動目標としてやっているところです。

     これは、当院の地域包括ケア病床の月ごとの収入の推移です。当然のことですけれども、28床に増床して収入は増加しております。しかし、コロナの影響もしっかり受けておりまして、最近、病床稼働率がしばしば低下しております。コンスタントに収益が上げられていないことを危惧しています。今後は高い稼働率の維持が目標になっております。

     地域包括ケア病床の高い稼働率、在宅復帰率を維持するために、介護付有料老人ホームの新設を進めているところです。当院から非常に近いところに用地が準備できましたので、現在、建築に向けて鋭意準備を進めている段階です。

     当院は回復期リハ病棟もありまして、地域の中核リハビリテーション施設としても活動しております。地ケア病棟でも、総合的なリハビリ力を強みに、強力に在宅復帰支援を推し進めています。POCリハビリにも積極的に取り組んでいるところですし、回復期リハ病棟とともにリハビリテーション栄養についても、チームで積極的に取り組んでおります。1日2回集団起立訓練にも取り組んでいまして、こういう場面は非常に活気があっていいなと日々見ているところです。

     新館を増築したときに、玄関から入ってすぐのところに、地域の皆さんが積極的に訪れてくださるようにということでコミュニティホールをつくりました。ここでいろんなイベントをやったり研修会をやったり、そのほか、地域に開かれたイベントをやろうということで張り切っておりました。写りが悪くて申し訳ないですけれども、コロナ直前ぐらいに田中先生に一度来ていただいています。現在は、講演会はなかなかできないですけれども、ここでコロナのワクチンの集団接種を日々やっていまして、いい場所があってよかったなと思っているところです。

     当院は、夏祭りとか文化祭とかそのほか、病院の割には結構たくさんイベントをやっていまして、地域の方にも案内して、たくさんの人が集まる病院です。今はコロナでこういう行事もやりにくくなっておりますけれども、できるだけ早く再開したくて、今年から夏祭りをやろうと言っていたんですけれども、この状況ですのでちょっと難しいかと思います。

     ちなみに、私はバンドをやっていまして、ドラムをたたいております。

     あと、こういう場所で初めて話しますけれども、当院、病院にライブハウスを備えておりまして、そこでもいろいろな活動というかイベントをやっていまして、仲井先生にも一度来ていただいたことがあります。

     ということで、これからも地域に愛され必要とされ続ける病院であり続けたいと思っておりまして、そのためにはやはり地域に開かれた活動を積極的に続けていくことが欠かせないと感じております。

     非常に雑駁な話になりまして申し訳ございませんでした。これで私の発表を終わりたいと思います。

     御清聴、ありがとうございました。

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    【講演 4 】

    オール総合診療医による地域包括ケア病院で地方創生を試みる

    江角 悠太(国民健康保険志摩市民病院 院長)

    • 江角悠太先生1
    • 江角悠太先生2

     よろしくお願いします。始めさせていただきます。

     今日私がお話しするのは、医療ではなくて、どちらかというと教育のほうです。

     午前中の鈴木先生のお話にもありましたが、これから2040年まで、ずっと働く世代が減り続ける。特に医者以外の業種の人材確保がだんだん難しくなっていくだろうというお話もされていましたし、実際、僻地にある病院に関しては全ての業種の人材不足が恒常的になっているというところで、当院でちょっとずつ人数が増え始めたというのを踏まえましてお話をさせていただければと思います。

     当院がある場所ですが、三重県の志摩市です。三重県は南北に長くて、志摩市はちょうど中間ぐらいですけれども、南半分が完全に僻地で、北へ行けば行くほど、名古屋に近くなればなるほど人口も増え、経済発展もし、南へ行けば行くほど平均給与が下がってくるという、一般的な地方県でございます。

     伊勢湾に浮いている中部国際空港へは、陸路で行くと3時間半かかるんですけれども、今、何と空飛ぶクルマの実装実験をされていまして。2027年に就航予定ということで、大阪万博の2年後に、志摩市と志摩スペイン村もしくはアマンリゾート、アマネムというところのヘリポートからセントレアへ飛ぶ可能性がある。そうすると20分で行ける。人の動きが大分変わってきて、町の様相も変わってくるかなというところを期待しております。

     これは当院の医療圏です。南勢志摩医療圏の中の伊勢志摩区域というところで、伊勢、玉城、渡会以外は、鳥羽、志摩、南伊勢町は医師少数スポット地域になっております。指定管理で地域医療振興協会がやっています230床のケアミックスの県立病院と、民間の療養病院60床と、私どもは、半島の一番先にある60床の療養型、療養ベースの地域包括ケア病床を持っている病院です。

     志摩市は人口5万人で、下半分2万5,000、上半分2万5,000、上下にちょうど半分ずついるという人口分布です。伊勢市にある日赤が高度急性期をやっていて、人口12万人。鳥羽市には病院がなくて、隣の南伊勢町は1万5,000人。三重県の自治体で一番高齢化率が進み、人口減少が進んでいる最先端の地域です。南伊勢町の町立病院は地域包括ケア病院です。

     うちは医師全員総合診療で、地域密着型になります。一般的な地ケア病棟を有する100床未満、200床未満の病院と似たような機能を持っております。サブアキュートも5割から6割ぐらいで運営している状況で、在宅も40~50人、年間看取りが最近だんだん増えてきて、20人から40人という数字に上がってきました。

     伊勢志摩区域の中でコミュニティホスピタルというインフラとしての医療を提供し続けることができるようになるためには、救急車で片道1時間ぐらいかかる伊勢にある病院の急性期とうちでがっつりやっていくというのが、医療経済的にも、患者さんにとっても一番いいのかなと最近思うところでございます。

     そういう病院で、私たちが7年前から力を入れてきたのが教育です。

     うちの病院は高校生から社会人まで受け入れているんですが、全ての研修生、実習生に対して、たとえ1週間だろうが4か月だろうが、その実習期間中、「担当患者さんをより幸せにする」というミッションを与えて、教育をしているところです。

     普通の研修医教育とかと一緒に、高校生、もちろん大学生にも、それぞれ患者さんに責任を持ってもらいながら進めていく。その都度その都度プレゼンをして、私たちからのフィードバックを朝もらって、今日これをやってみたらどうとか、それをやるんだったら彼らに相談してみたらとかいうのを、次の10分間の多職種カンファレンスでほかの職種全員に共有させ、みんなで協働して、学生たちがつくったケアプランに対して、病院内で、病院外でどう動いていくかというのを検討しながら回診をする。全患者さんの回診をしながら、私たちの患者さんに接する後ろ姿を見せ、そしてまた、彼らが自分の担当患者さんに接している姿を見て、指導医からフィードバックを入れるということを踏まえ、自分たちの患者さんにとって必要な部署を見学・体験しにいく。

     さらに、患者さんと食事。今はこういう形では取れないですが、嚥下機能に問題がある方が多いので、基本的には患者さんと一緒に御飯を食べる。自分の担当患者さんの嚥下、食べ方、食べるものをちゃんと近くで一緒に食べながら見るというのと、1人で食べるのでは食欲はわかないけれども、学生がつくと食欲が増すんです。これは一個エビデンスが出そうだなと思うぐらい、学生がついている患者さんはどんどん元気になっていくという症例が結構多いです。

     担当患者さんに関わることを全部していただいて、毎日、16時半から指導医からのフィードバックを入れるというのが研修内容です。

     さらに、希望者には、自分の担当患者さんもしくはほかの患者さんが夜間になると変わるところを見ていただくとともに、看護助手として実際に看護体験をしていただく。

     あと、在宅に帰るに当たって、家族が不安でどうしても踏ん切りがつかないというときは、「学生についていってもらって泊まらせます」と、寝袋を持たせて行ってもらうということもしております。この前行った学生は、ムカデに2回刺されて帰ってきました。

     というように、在宅にしてみるとわかることとか、やっぱり退院してからがスタート。そのスタートの風景をまず見て、在宅に行くと患者さんがどう変わるか、どんな環境に住んでいるかとかイメージをしながら入院で診ていくとよりいいねというのを体験してもらっています。

     患者さんはがんのターミナルの方とかが多いですが、これは最近の患者さんです。胆管がんの方ですけれども、彼は私と長い付き合いで、いろんな病気を乗り越えられてきて終活が大体できているような状況で、覚悟もできていて、最期はこの病院でと希望されていたんです。

     ある学生が担当したことによって、奥さんがつくったカレーを食べたいけれども、奥さんは火を使うのが大変そうで心配だから、そこまでは言えないなという話を学生にぽろっとこぼした。学生が「それだったら、私たちが行って見守りながらカレーをつくってもらうようにしますよ」と。学生ならではの介入方法だなと思って、「どうぞ行ってきてください」と。見事にカレーをつくって帰ってきたときに、彼が泣いて喜んだ。まさか自分がずっと慣れ親しんでいたカレーが食べられると思わなかったということですごく感動されて、病院でそのままと言っていた方が、何とその翌日、やっぱり家に帰りたいなという心境の変化が起こり、家に帰っていただきました。最期は妻と一緒に過ごしたいということで、今も在宅で学生がフォローしています。

     こういう活動は恐らく学生にとってものすごい経験になるんですが、患者さんにとっても、あのサービスまでは私たちでは手が届かないなというのが現状でして。学生には学習者という役割もありますが、一医療従事者として病院の中で活躍できるという役割があるんじゃないか。学生でなきゃできないこと、学生だから提供できるサービスというのがあるんじゃないかなというのを日々、学生を見ていて思います。

     毎月毎月10人ずつぐらい、常にいろんな学生がいるんですが、毎月毎月担当患者さんでそういうことが起こるので、うちの病院では、学生が病院のスタッフとして、学生職というところを確立したような状況です。

     そうこうしているうちに、学生が増えてくると研修医が増えて、研修医が増えてくると後期研修医が増える、後期研修医が増えると指導医が増えるという順序で医師が増えてくる。初期研修、後期研修が増える前に、最近、途端に指導医が増えてまいりました。

     今1人留学に行っているので、全部で5人。2年間の留学で彼もそのうち帰ってくる。一回研修に出てここの病院で必要な医療技術を学んで帰ってくるという、僻地の病院から留学に出せるようなおもしろいことができるようになってきました。

     さらに、せっかくなので、私が今までいろいろやっていた病院長の業務を若手に分担させて、副院長とか院長補佐とかいう役目を渡して彼らにやってもらう。臨床だけではなく、教育だけではなく、病院運営もやってごらんということで、病院長養成プログラムというのをつくりました。

     全国に、不採算地区にある100床未満の公立病院がこれだけあるわけで、うちの病院も赤ランプが灯っています。ここで養成された人間が3年ごとにどんどん増えていって外に出ていく、病院長としてのセカンドキャリアというのが新しくできていくと、より僻地にある公的公立病院や、それこそこれから僻地になるような地方都市の全ての病院にとってもとても重要な人材になってくるんじゃないかなというのをイメージしています。

     またさらに、うちの病院だけでは追いつかないなと思いまして、全国で年に何回か、TAO医師団(地域創生医師団)のイベントを開いています。要は、僻地でやりたがっているけれども、大学ではなかなか応援されにくい学生たち、研修医たちを僻地で生き生きしている医療従事者が支えてあげる、認めてあげることができる団体をつくりまして、活動しています。

     このコロナ禍で始めたんですけれども、それでもなかなか支えられない、そこにもなかなか来られない若手の医学生、進路に迷っている初期・後期研修医、もしくはセカンドキャリアに迷っている医師の方々のために、YouTubeで医者を毎回ゲストに呼んでラジオという形で、何かしら行動が変容するきっかけになればなと思って発信しています。

     僻地医療がだんだん成り立ってくると、結局地方創生が急務である。少子高齢化、人口減少を何とかしなければいけないというところで、やはり東京一極集中を是正するためには田舎が魅力的になる必要がある。

     僻地や田舎が魅力的になるため、そこに人が住むためには、医療、教育、産業が必要ですが、その中でも医療従事者のニーズが一番高い。まず医療従事者がそこのブレイクスルーをするというのが一番シンプルな方法じゃないかなと思いますし、そもそも私たちの理念が「どこに住んでいても 住みなれた地域、住みなれた家で、最期まで自分らしく幸せに暮らせる」ですので、どこに住んでいてもというキーワードを医師として必ずかなえないといけないというところを突き詰めると、いずれ、こういう地域で働く医者たちがこれからの日本を支えられるんではないか。そういう未来を若者たちに伝えていければなと思って教育をしているところでございます。

     以上です。ありがとうございました。

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    【討論】

    • シンポジウム1_討論

    ○高橋泰 江角先生、どうもありがとうございました。

     どうしましょうかね。皆さん一回並んでいただいて、1人ずつトークをしながら進めていきたいと思います。

     江角先生から順番にトークをさせてもらいながら、いただいている質問も加えて進めていきたいと思います。

     まず、教育の話だけでも十分聞かせていただいたという感じでありますけれども、島根県の隠岐島の白石先生を思い出しながら聞かせていただきました。

     白石先生のところも、僻地にもかかわらずお医者さんが集まる体制をつくって、島根県の基幹病院が足りないときにうちから派遣するということを言われていたのがとても印象的でした。これができている事例が全国に10も20もあればいいなと思うけれども、なかなか思いつかない。

     先生から見て、こういうことができるための条件、どうすればそういうことが地域創生として起きるのかというあたり。

     それと、今回、経営をどうしていくかという話があるんですけれども、人が集まらないと経営ができないというところもあるので、教育と経営という視点から、先生のビジョンというのかな、ほかのところでこういうことをやるためにどうすればいいのかみたいなアイデアがあったら、聞かせてほしいなと思います。

     

    ○江角悠太 いっぱいありますね。

     全部答えられるかどうかわからないですけれども、まず、経営と教育のところからお話しします。

     うちの病院で7年前から育てた、ずーっと地道にやってきた1期生の医学生たちが6年目の医者になっていて。年間10名ぐらいを見ていたのが、今ではある意味教育のメッカとなって、年間30名ぐらい。4か月の長期の臨床実習ができる場所にも選ばれて、三重県の中で地域医療を教える特異的な病院として認知されつつあるんですが、その1期生の中で5%、10人に1人とかの確率で、医者になってからも毎年毎年うちの病院に帰ってくるんです。

     帰ってくる理由は、原点回帰をしたい、忘れていたものを取り返したいというのと、あとは、育ててもらった恩返しをしたい。必ず恩返しをするために帰ってきます。あとは、やっぱり皆さんと一緒に働きたいというところの思いがずっと続いている医者が年間5%ぐらいいる。

     医者が増えればできることも増えますし、地域の開業院もどんどん高齢化が進んで跡取りがいなくなるので、これから私たちは病院以外に、恐らく診療所も引き継いでいかなきゃいけない。人口が減少していく中で新しく始められる方々はなかなかいらっしゃらないので、そこら辺も含めると、志摩市全体に必要な医療従事者数を踏まえて、彼らみたいなのが帰ってきて、うちの病院を拠点に、サテライト診療所を引き継いだり。もしくは、もう1個の県立病院も医師確保がなかなかできてない状況で、都会から3か月ごとのローテーションで来ているだけですので、どうしても地域になかなか密着できていない現状です。地域に愛着がある医療従事者をこつこつ育てていくと、そこの医療というのは住民にとってものすごい質の高いものになるんじゃないのかなと。同時に、住民から喜ばれる質の高い医療をすれば、経営は自然によくなるんじゃないかというのはすごく思っています。

     道は遠いですけれども、10年後、20年後の医師や看護師を育てるために教育をし続けるというのはやはり大事なことじゃないかなと思っています。

     

    ○高橋泰 白石先生が隠岐から島根全域をターゲットに広げてやられていますけれども、先生もまずは三重県全域とか、もう少し広いエリアとか、派遣とかいうことは考えられているんですか。

     

    ○江角悠太 そうですね。実際に今三重県の中でも、院長が不在、不在になるかもしれないという僻地の公立病院が出てきそうで、大学の医局でも派遣が難しい、県の派遣も難しい。院内からも誰も出てこないという病院がこれからぽつぽつ出てきそうな感じ。うちの病院も7年前そうだったので。

     公立病院の経営ってちょっと特殊なので、うちの病院長養成プログラムで3年間ある程度実践で学んで失敗成功を繰り返して、むしろ僻地でやりたい人間がそこにどんどん移って、もう一回そこで適正な医療ができるように立て直していくというのは、やる側にとってもおもしろいだろうし、やられる側にとってもこんなにいいことはないだろうしというのはすごく思っているので、三重県もそうですけれども、県外にも恐らくそういう病院がたくさんあって、うちで育ててきた後輩たちが今後そういう病院を立て直していくことができるようになれば。それが一番の目的としてプログラムをつくりました。

     

    ○高橋泰 とてもすばらしい話で、まだいろいろ聞きたいですけれども、皆さんに順番を回さないといけないので。最後にもう一回トータルでお話しいただくことになると思います。

     
     続きまして、志田先生、お願いいたします。

     志田先生にお伺いしたいのは、全国区で有名になった織田病院がそばにあって、嬉野というかなりしっかりした地域の中核病院があって、ある意味病院の激戦地。しかも人口が減少している中で、地域包括ケアの役員の先生たちに、志田先生がどんな先生か聞いたら、非常に堅実でいい経営をされているという話をされて、激戦地の人口減少のところで非常にうまく分業されているなという印象を持っています。

     同じような悩みを抱えた会員の方も多いと思いますので、今言った両病院の具体名を入れながら、どういうふうなすみ分けをし、将来どういう方向性を目指しているかということを聞かせていただきたいと思います。

     

    ○志田知之 うまく答えられるかわからないですけれども。

     そもそも、急遽でしたけれども、私は30才のときに父の跡を継いでいます。経営のことも、医師としてもまだ方針が固まっていないような状況でしたので、基本的には父がやっていたことを踏襲しようと思って継ぎました。

     父が訪問診療、在宅も結構普通に、たくさん行っていたんです。ナースに、今日はここに行きますと連れていかれて、そこから当たり前に在宅もやっています。今地ケアを持ってこういう病院ができているのは、その流れといいましょうか、在宅の患者さんがいて、増悪した場合には入院させることを以前から普通にやってきていたということがあります。

     近年、地域の開業医に在宅医療を盛んに求められていたりしますけれども、当地域も、先ほどお話が出た織田病院さんなんかも在宅医療をされています。ほかの医療機関はそれほどでもないですけれども、在宅医療がもともとあった地域だと思います。

     すみ分け的なことになりますと、私が行っているところは、結構長く在宅医療で生活されている患者さんとか、あと、最近はやっぱり施設とかに訪問の希望がありますので、そういったところに長く伺う訪問診療をやっています。織田病院さんの場合は、急性疾患で入院されて退院された後2週間とか、決まった期間を在宅につなぐというところで診ていらっしゃるというところでは、担当しているところが若干違うかもしれません。

     ただ、訪問看護も含めて、同じ事業所を使っていたりとかで、連携してやっていますので、意識してこういう患者さんはうちでとかいったことはなく、自然に分担してやっているのかなと。

     

    ○高橋泰 織田医院さんから、2週間終わった後、あとは志田先生よろしくみたいな形で患者さんが流れてきたりすることは。

     

    ○志田知之 ダイレクトということじゃなくて、その方がもともとどういうところにおられてということで連携する場合はあると思います。

     

    ○高橋泰 その辺のすみ分けというのはあうんの呼吸で、何となくそこに落ち着いたという形で。直接トップ会談をして、大体この辺でやろうみたいな話ではなかったということですか。

     

    ○志田知之 打合わせをしているということはあまりないというか。

     そもそもでいうと、私が帰ってきたとき、うちの職員はまだ30人ぐらいしかいなくて、いろいろ困ることがあったら、それこそ織田先生に御相談してアドバイスをいただいたり、いろいろ御指導いただいてきました。

     近年のところでいうと、逐次全部打合わせをしてということはありませんし、何とか、あうんというのか、うちは大体こういうところでやって、あちらがこういうところはされてというようなところかなとは思います。

     

    ○高橋泰 織田病院は地ケア病棟は。

     

    ○志田知之 織田病院さんの地ケアはもともとは亜急性があっての地ケアなので、ポストアキュートですね。

     

    ○高橋泰 織田病院は地ケアはありましたっけ。

     

    ○志田知之 地ケア、あります。8床だと思います。

     

    ○高橋泰 なるほど。わかりました。

     あの地域はすごく在宅がすごく進んでいて、お互いにそれぞれ役割分担をして、必要なものを提供しているという形で成り立っている様子がよくわかりましたけれども、やはり患者さんの必要なものを、お互いの役割を考えながらちゃんとやっているなという感じがよく伝わった感じがします。

     ありがとうございます。

     
     続いて井野口先生。

     私、結婚式に出るということはあまりないんだけれども、井野口先生の結婚式に出させてもらいまして、プレゼンにも出てきたタヌキののん太君とツーショットを撮って、携帯電話の待ち受けにずっと使っていました。あれから何年になりますか。

     

    ○井野口真吾 実は、今日ちょうど5年目になりまして。

     

    ○高橋泰 そのときは急性期を目指しているという形で、5年前にこういう形になるとは全く思っていなくて。5年間でこれだけ変わったんだと、今聞いてびっくりしたという形です。

     要は、やったことはわかったんだけれども、経営者側から見たときにどういうことがあって、こういうふうに大きく変わったのか。

     もちろん、地域にニーズがあって、それに合って非常に伸びていったということは間違いないと思うけれども、まず、発想の原点というのかな、経営者がそっちの方向に行こうと思わないと法人は動かないわけなので、経営者としてどういうふうなことを考えてかじを切ったのか。そこのもくろみから見て、自己採点として何点ぐらいきているか。その辺も含めて、経営者視点から先ほどのプレゼンをもう一度語り直してもらえないかなと思うんだけれども。

     

    ○井野口真吾 お示しのように、もともとは普通の一般病院だったんですけれども、群馬の脳血管研究所 美原記念病院を見にいったときに、急性期病棟にセラピストがたくさんいて、発症からすぐリハビリをやっているというのを見て帰ってきて。当時、うちのセラピストはまだ20人いなかったくらいですけれども、365日やっていくべきだと、病棟にもどんどん入っていってやってほしい。だから、募集をかけてどんどん充実していきたいと言ったら、セラピストたちが、「そんなことしたら、みんなやめますよ」と。土日も仕事なんてとんでもないですみたいな、担当患者も減ってしまうしみたいな、マイナスのことばかり言っていたので、一旦は収めたんですけれども、やっぱりこれからはリハビリを充実していくことが必要だということを何度も言ったり、外部の人にも来てもらってしゃべってもらったりして、リハビリの充実から入りました。

     徐々に人数が増えていくと、退院後も面倒を見ていきたんだという話が現場から出てきまして。なら、訪問リハをやろうとか通所もやっていこうみたいな、リハビリからどんどん事業転換していったと。

     介護事業が始まると、介護事業部というのをつくるんですが、そこのトップを理学療法士の人間に。今は現場にはなかなか出られないほど忙しいですけれども、彼と一緒に話しながら、次はこういう展開がいいんじゃないかいうことを話してやっている感じです。

     

    ○高橋泰 今の話は、美原先生のところへ行ってリハを増やしたいという形だけれども、急性期から生活支援型に転換しようと思ったきっかけというのが今の話からなかなか見えなかった。何がきっかけだったんだろう。それから、これだけのスピードでがーっと進んだドライブのきっかけは何だった。結婚だったのかな。

     

    ○井野口真吾 急性期もまだ一生懸命やっています。これからは急性期だけじゃなく……。

     

    ○高橋泰 それはどこかを見たという形じゃなくて、自分で考えて、そっちの方向に進むという感じで。

     

    ○井野口真吾 そうですね。信念としては持っていて、周りを巻き込んで。

     

    ○高橋泰 やっぱり前からずっと思っていて。

     

    ○井野口真吾 ええ。

     

    ○高橋泰 これだけ急激に進められたというのはどうしてなの。

     

    ○井野口真吾 コロナでじっとしていられなかったというか、じっとしている中で、コロナじゃないことを考えようと。それも大きかったんじゃなかったんじゃないかなと。私のメンタル上も、次のことをどんどんやっていって、コロナが明けたら井野口病院変わっているみたいなのがいいんじゃないかとかいうことで、ずっと走っていたと。その場で走っていました。

     

    ○高橋泰 なるほど。わかりました。

     方向性は多分間違いなくて、本当に大きな転換を短期間でやって、すごいなと思っていたし、その思いをぜひ持ち続けてほしいなと思いました。

     
     続いて武久先生。まずフロアから質問が来ておりまして。

     離床時間を6時間から8時間確保して、今後10時間を確保していくということでしたが、具体的にはどのような方法で離床時間を確保しているのでしょうかという質問が来ております。

     先生にぜひ語ってほしいのは、お父様が非常に大きな法人をつくられて、成長させられて、それを引き継がれて理事長になられたという形ですけれども、どれぐらいの期間でどういうふうに継承が進んでいったのかみたいなことをできる範囲で話してほしい。

     もう1点は、将来的に先生が自分としてはどういうことをやっていきたいのか。最初の質問も含めてお答えいただければと思います。よろしくお願いいたします。

     

    ○武久敬洋 離床時間の確保に関してですが、離床というのはすごく重要ですけれども地味であるのと、誰がやるものか決まっている仕事ではないということで、何となく増やそうと言っていてもなかなかできないので、一応離床コーディネーターという、離床を専門的に見る役割を各病棟に置いています。主にリハビリのセラピストが担当することが多いですが、その者が病棟の離床管理をする。リスク等を踏まえて、患者さんごとの離床のプランを検討して、何時間ぐらい離床させるか。離床しても、ただただ暇だと机につっぷしてぼーっとしているみたいな状態になりがちなので、その人ごとに、楽しんで離床できるような、何らかのプログラムを検討するというやり方をしています。

     

    ○高橋泰 離床コーディネーターというのは、ほかでやっているところは御存じですか。それとも先生の法人のオリジナリティですか。

     

    ○武久敬洋 名称としては、うちが勝手に名前をつけてやっていることで、同様なことを明確にやっているところというのは、僕自身は知らないです。

     

    ○高橋泰 とってもいいアイデアだと思うし、やっぱり担当を持つと、そればかり考えるといろいろとアイデアも出てくるし、すごく必要なことじゃないかなと思います。

     ありがとうございました。

     後半をよろしくお願いします。

     

    ○武久敬洋 今年の1月に平成医療福祉グループの代表になったわけですけれども、2年前ぐらいから代表代行という形で。コロナの始まったあたりで、先代があちこち行けない状況になって、私は東京にいましたので代表代行という形でやっていました。

     そもそも、継承というか代替わりというか、この辺がどんな感じだったかというと、私は今43歳ですけれども、グループに入ったのが30歳のときなので、12年ちょっとぐらい前からグループに入ってやっています。

     もともと整形外科医だったので、初めは高齢者医療とかリハビリを中心に、臨床医としてのスキルを高めるということを数年間やって、その後に世田谷記念病院の立ち上げをやった。ここの立ち上げは僕に完全に任せてもらったので、世田谷記念病院の機能というのは、先代の意見も組み入れながら、現場でやっていったという形です。

     その後、副代表という立場をいただいて担当病院を増やしていって、病院だけではなく、介護とか障害者福祉とか、物流関連に関するところまでも積極的に入り込むようにしていった状況を経て、2年前の代表代行になったあたりからは、ほぼほぼ任せてもらっていた形です。なので、この1月で特別大きく変わったということはなく、やっています。

     病院をやっている親子はよくもめると聞くんですけれども、我々親子、何とかかなり仲がよくて。今日も、これが終わったら一緒に飛行機に乗って帰ることになっているんですが、仲のよさを保つためにも結構頑張ったという自覚はあります。

     代表となって、今後自分で何をやりたいかという質問に関してですが、まず1つ目、当然やらなくちゃいけないのは、今現在やっている事業を今後も安定して継続していけるようにさらに仕組みを整えるということと、さらに質を上げるというところ。ここに一番力を入れる。これは当然のこと。

     もう1つは、半分独自にやりたいと思っているのと、このような状況からして今後必要だなと思っているところで、江角先生がやられているような、僻地というか地方の医療をどうにかしていかないといけない。この辺についても実はちょっと取り組みたいなと思っています。

     実は僕、この間まで東京に住んでいたんですけれども、今は徳島県の田舎の神山町というところに引っ越して、2拠点生活をしています。あえてそういうところに自分を放り込んで、いろんなことを体で感じている状況になります。そこで新しいいろんな手法を試してみたりして、ほかのエリアでも何かやれることはないかと思って、手探りでやっている状況です。

     

    ○高橋泰 最後に、1人1分ずつぐらいで今後やりたいことを。

     武久先生には話していただいたので、井野口先生に戻して、今後自分が経営者としてやりたいことを手短に。

     

    ○井野口真吾 先ほどのまとめでも、より地域に根差してということを言っていたんですが、地域と病院、法人の距離がもっと近くなるように、職員も町へ出ていって交流し、また、地域の住民の人も気軽に病院とか関連施設に来ていただいてという交流を、イベント等も含めて企画していけたらいいかなと思っております。

     

    ○高橋泰 どうもありがとうございました。

     志田先生。

     

    ○志田知之 先ほどからありますように人口減少地域で、今もいろいろ人材確保に大変苦労しています。その中で、皆さんやられていることですけれども、外国人も含めて、獲得に向けてさらにいろんな取組を加速していこうとやっています。

     専門職でいうと、うちはセラピストとかが結構増えたので、いろんなコンテンツをつくってくれて。そういうのを見せると、みんな共感して、一緒に働きたいということを言ってくれるので、ほかの職種にもそういったことを広げて、より人が集まる病院を目指してやっていきたいなと考えております。

     

    ○高橋泰 人の集まるというのは、何にしろキーワードですよね。

     最後に江角先生、一言何か。やりたいことは十分聞いた感じがしたので、ラストメッセージをお願いします。

     

    ○江角悠太 ずっと考えていたんですけれども、そろそろ、わくわくすることをもう一段階やりたいなというのを感じていて。具体的に何があるかというのは、まだ構想段階なのであれですが、だんだん人が増えてきて逆に感じているのは、住む場所がないというのが田舎の問題です。

     看護師が来ると言ってくれているのに、医者が来ると言ってくれているのに、家族で住む場所がないというのが新たに出た問題です。医療以外のところに力を入れていかなければいけないなと。ないんだったら、つくるしかない、もしくはリノベするしかない。医療以外のところでも、それが多分人材確保する上での根本的な解決方法だし、家族で来たら、子育てする場所がない、嫁さんが田舎が嫌いだとか。うちも前妻がそうだったので。そういう問題でなかなかうまくいかないことを一つ一つ解決できるような。多分これは公立病院では無理です。恐らく違う団体が必要かなというのを思っていて。

     医療従事者向けにそれをやっていくことによって、ほかの産業従事者にとっても新たな有能な若手の人材が住みやすくなってきたりする可能性があるかなと思うので、次、そこをもう一段階、まちづくりというステージでやっていけたらなというのは思っています。

     

    ○高橋泰 これからの地域医療は、まさにまちづくりというのがキーワードになってくると思いますので、人が集まり町をつくっていくという方向性が見えてきたのかなと思います。

     残念ながら時間になりましたので、シンポジウムをこれで終わりたいと思います。

     4名のお話を伺いまして、かなり夢が見える部分もあり、現実的に何をしないといけないかという部分も見えたところがあったと思います。4名のシンポジストの先生、どうもありがとうございました。

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    <<特別講演 シンポジウム2>>

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